カントリーミュージックのレジェンドで、アメリカの国民的スター、ケニー・ロジャースが3月20日に他界した。
享年81。
ジョージア州サンディ・スプリングスの自宅で、家族に看取られての自然死だったという。
引退宣言し、2018年にラストツアーを開催する予定にしていたが、健康上の理由でツアーはキャンセルとなり、そのまま引退状態になっていた。
日本ではそもそもカントリーミュージック自体の人気が高くないので、ケニーの人気や知名度はアメリカには遠く及ばないが、それでもカントリーといえば、ケニーの名前と顔を思い起こす人が多いはずだ。
ケニーはもともとザ・ファースト・エディションというグループを率いて、1960年代から活躍していたが、1976年にバンドを解散してソロに転身。
1977年リリースのシングル「Lucille」が、カントリーチャート1位、全米5位のヒットになり名を上げる。
そして1979年リリースの3枚のシングル、「She Believes in Me」「You Decorated My Life」「Coward of the County」はいずれもカントリーチャート1位。全米でも5位、7位、3位とヒットを連発。
カントリー界を代表する歌手の一人として、高い評価と支持を受ける。
ただ、このときケニーはすでに40歳をすぎており、決して若くして成功を収めていたわけではな。むしろ遅咲きといってもいいくらいだ。
カントリーというのは、おおざっぱにいえばマッチョで男臭い音楽であって、ファン層も男性が中心だ。
そこにケニーは、親しみやすいポップセンスを持ち込んだ。それが彼の最大の魅力であり功績だ。
その魅力は1980年リリースの「Lady」でいかんなく発揮される。
こうした大甘のバラードは、昔気質のカントリーシンガーはまず歌わない。
しかしケニーは、この曲を甘くせつなく歌い上げ、自身にとって初の全米1位を獲得する。
曲を書いたのはライオネル・リッチー。
彼が手掛けたコモドアーズの「Three Times A Lady」などを聞いて魅力を感じ、ケニーの方から打診したらしい。
コモドアーズも当時大人気で、全米をツアーで飛び回っていたため、ケニーの要請に応えるのは難しいと思われていたが、メンバーが交通事故にあってしまったため、コモドアーズのツアーはキャンセル。
そのため身体が空いたライオネルが、ケニーの依頼を受けたのだという。
まったく何がどう転ぶかわからないものだ。
いまとは違って、黒人と白人のコラボなどそうそうある時代ではない。
加えて、ケニーはカントリーで、ライオネルはR&Bで、それぞれ人気を博していた二人が共演するのだから、これはまさに音楽業界を揺るがすビッグニュースだった。
その結果は見事に全米1位。それも6週間連続の1位である。
コモドアーズが歌っていても、おそらくヒットはしただろうが、ここまでの成果にはならなかったろう。
やはりコラボの話題性があっての大ヒットだと思える。
この2年後にライオネルはソロになるのだが、マネジメントは、ケニーと同じケン・クレイガンと契約する。
ケン・クレイガンは音楽業界に広い人脈を持つ実力者で、1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」プロジェクトでは発起人の一人として活躍。
彼がいなければ、あれほど豪華なメンバーは集まらなかっただろうと言われている。
もちろんそこには、ケニーもライオネルも名を連ねている。
ケニーは0分50秒あたり。ポール・サイモンとジェイムズ・イングラムのあいだに登場。
さて、この名曲中の名曲である「Lady」、さぞかし多くの歌手がカバーしてるはず、と記憶をたどっても誰も思い浮かばない。
SpotifyやiTuneで検索してみたが.......ない。
もちろん作者であるライオネルはカバーしているが、それ以外にはない。
私が見落としているのかもしれないが、ラテンやジャズアレンジはあっても、著名な歌手のオフィシャルなカバーはなかった。
You Tubeでも探したのだが、見つかったのはテディ・ペンダーグラスくらいしかないというのは驚きだ。
クセがなく親しみやすい曲だし、年月を経て古臭くなるタイプの曲でもない。
なのにこれほどカバーが少ないとは、何か権利関係上の理由でもあったのだろうか。
その数少ないカバーをリリースしているのが西城秀樹さんだ。
日本語詞は山本伊織さん。
「BIG GAME HIDEKI'81」と「JUST RUN'84 HIDEKI」、2枚のライブアルバムに収録されている。
この動画の音声は'81のもの。
秀樹さんの歌唱の特に後半は、オリジナルを上回るほどの熱くエネルギッシュな歌いまわしで、聞き手の心を鷲づかみにする。
“絶唱”の名曲が数多い秀樹さんだが、そのなかでも「Lady」は屈指の出来栄えだと、いまなお思う。
そして改めて
RIP Kenny
<この項おわり>