達郎氏による曲の解説部分を書き起こしています。インフォメーションやリスナーからのメッセージは割愛しています。 ネットに音源があるものは張り付けていますが、オンエアされた音源とは異なる場合が多々あります。
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1. IN MY ROOM / THE WALKER BROTHERS '66
2. HOLD ON(LIVE) / THE WALKER BROTHERS '68
3. MATHILDE / SCOTT WALKER '67
4. JACKIE / SCOTT WALKER '67
5. JOANNA / SCOTT WALKER '68
6. IT'S RAINING TODAY / SCOTT WALKER '69
7. JOE / SCOTT WALKER '70
8. THAT NIGHT / SCOTT WALKER '72
先週からスコット・ウォーカーの特集を始めましたが、やればやるほど、やらなければよかったという(笑)
奥が深すぎまして、やっぱりキャリアが長い人って、スタイルが目まぐるしく変わるので、焦点のあてかたがむずかしい。
それから、カルトな人気を誇りますので、何て言いましょうか、証言とかそういうものも、どこまでほんとかわからない。
そういうような、いろいろなことを考えつつ、それも音楽に罪はないので、今日もスコット・ウォーカー特集パート2でございます。
先週はウォーカー・ブラザースのところまできまして、今週はウォーカー・ブラザースからですね、アイドル的な活動に疑問をもちましてソロに転身する、そういうような歴史でございます。
60年代の末から70年代にかけてのスコット・ウォーカーのソロ・ワークを中心に今日はお聴きいただきます。
IN MY ROOM / THE WALKER BROTHERS
先週は、下積みからウォーカー・ブラザースでブレイクするまでお伝えしましたが、ウォーカー・ブラザース、1965年にイギリスでブレイクしまして67年、この2年半、絶頂期を迎えまして。
ビートルズよりもファンクラブの数が多くなったという、たいへんな人気を博しました。
そんな中、発売されましたセカンドアルバム『Portrait』
これの1曲目に入っております「In My Room」、日本題「孤独の太陽」
これ日本でシングルカットされまして、大ヒットいたしました。1966年の作品。
もともとはスペインのシンガーでハイメ・モリーが1964年に出したものに、英語詞を付けて、アメリカの黒人シンガーのバーデル・スミスが出しましたヤツの後追いです。
でもウォーカー・ブラザーズのものがいちばん有名です。
ことほど左様に、ウォーカー・ブラザースは、ほとんどカバーであります。
変なところから持ってくるカバーであります。
長いこと、オリジナルがわかりませんでした。
「In My Room」も今だから、オリジナルはこれだとか言ってますけれども、もう60年代、70年代は、ほんと、ぜんぜんわかりません。
そういう曲ばっかり持ってくる不思議な。
先週も申しましたが、スコット・ウォーカーはバリトン・ヴォイスの朗々とした歌い方ですが、ルーツはロックンロールですので、ロックンロールスピリットがあった上でのこうした音楽ですので、それが'60年代にアピールしたと。
もともとジョン・ウォーカーとスコット・ウォーカーの二人でデュオに近いかたちで展開してまして、ライチャス・ブラザーズに非常に近いかたちです。
そういうところがよく現れるのはライヴなんですが、ライヴソースはほとんど残っておりません。
そういうことを聴くのが、我々できないんですけども。
1966年頃になりますと、「In My Room」とか出してるころになりますと、だんだんスコット・ウォーカーがですね、アイドル活動に嫌気がさしてきまして、いろいろと奇行といいましょうか、おかしな行動が多くなってきます。
そんな中で仲たがいが始まりまして、1回解散するんです。
日本公演だけ契約が残っていたので、1968年にそれだけ暫定的に再結成して日本公演、武道館公演を行いました。
ビートルズに続いて武道館を公演した外タレの2つ目というかたちでございます。
1968年に来日しましてライブをやりまして、このレコーディングが『イン・ジャパン』という形で日本でだけ発売されました。
もちろんCDには長いことなってなかったんですけど、2007年にそのマスターテープからリマスタリングされまして、当時発売されたアナログ盤に入ってない曲も含めて、大阪フェスティバルホールのライヴが出ましてですね。
完全版というわけじゃないんですけども、ワイドデラックス、ウォーカー・ブラザース、イン・ジャパン。
これを聴きますと、当時のウォーカー・ブラザースのライブの様子というのが、少しわかってきます。
ヒット曲のほかにやっているのは、例えばスコット・ウォーカーの趣味でですねジャック・ブレルとかそういうのもあるんですけども、中心はリズム&ブルースなんです。
そんななかからSam & Daveの「HOLD ON」をやっております。
しかもライブのオープニング、1曲目。日本でのライヴから。
HOLD ON(LIVE) / THE WALKER BROTHERS
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データをみますと、1968年1月4日の大阪フェスティバルホールのようですね。
このほかにも「Reach Out I'll Be There」とか「Uptight」、本当にヒットの曲のほかは「Ooh Poo Pah Doo」とか「Turn On Your Love Light」、R&Bの曲がほとんどです。
65,66.67年と人気を誇ったんですけど、1967年に解散してしまいます。
でスコット・ウォーカーはソロになります。
もともとL.A.時代から、ヨーロッパの文学とか映画に耽溺していたそうでして、とりわけフランスのシンガー・ソングライターのジャック・ブレルにハマっていたというインタビューが残っています。
L.A.時代に付き合っていたドイツ人の女の子、プレーボーイ・クラブでバニー・ガールをしていたそうですが、これ有名な話ですが、その女の子がフランスの音楽が好きで、スコット・ウォーカーにジャック・ブレルを教えたんだそうです。
それでイギリスに渡りまして、ストーンズのプロデューサー、アンドリュー・オールダムと話していたところ、ジャック・ブレルの話題になり、ジャック・ブレルが英語に翻訳したジャック・ブレル自身のデモテープを持ってて、それをどうにかしようと飛びついて、スコット・ウォーカーがジャック・ブレルのレコーディングをはじめる、というインタビューが残っています。
ようするにロックンロールとティン・パン・アレイ・ミュージックとアメリカのビート・ジェネレーション、ジャック・ケルアックとかですけど、それとヨーロッパのヌーヴェルバーグ、それがもっとアバンギャルドなフェリーニとかベルイマンとか、そういうものと渾然一体となって、スコット・ウォーカーのこの先の音楽が行くと。
1967年に発売された1曲め、ファースト・ソロアルバム『SCOTT』の1曲めに入ってるのがジャック・ブレルの「MATHILDE」という曲です。
アメリカのドグ・ポーマスとモルト・シューマン、ロックンロールの大作曲家ですが、このモルト・シューマンが訳詞したジャック・ブレルの作品をスコット・ウォーカーがファースト・アルバムの1曲めに入れると。
そういう決意の現れといいましょうか。
スコット・ウォーカーの1967年のファースト・ソロ・アルバムから「MATHILDE」
MATHILDE / SCOTT WALKER
先程の「HOLD ON」との何という差。
このアルバムからウォーカー・ブラザーズとは全く違う路線が始まります。
カヴァーを超えていって自分のオリジナルに向かうんですけど、この当時のスコット・ウォーカーの人気は絶大で、ファーストアルバムは全英3位。
セカンドアルバムは全英1位になります。
サードアルバムは全英7位。
そういうアルバムでヒットを続けるんですけど、それでも何度も言いますようにロックンロールのベーシックがあるので、そうしたそれ以前のミドルオブザロードのシンガーとは、ちょっと違うテイストがあるんです。
それを強調しておきたいと思います。
セカンドアルバムに入ってた「JACKIE」もジャック・ブレルの曲なんですが、これはイギリスでシングルカットされてチャートに入ります。全英22位。
但しこれは過激な内容だったのでBBCでは放送禁止になったんですけど、それにも関わらずチャートに入りまして、アルバムは全英1位を獲りました。
セカンドアルバムから1967年の「JACKIE」
JACKIE / SCOTT WALKER
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詞を紹介したいんですが、非常に長くて難解です。
今はもう紙ジャケで訳詞つきで出てますので、興味のある方はユニバーサルで出てますので、ご覧になってください。
『SCOTT2』にはやはりジャック・ブレルの「Next」という非常に衝撃的な作品があって、いわゆる軍の従軍慰安施設に、徴兵された少年がそこに入れられて、次、次、とプライドを傷つけられると、いじられるという歌です。
そういう衝撃的な歌がたくさん並んでまして、私も中学高校のときで非常にショッキングなアルバムでした。
この時代のスコット・ウォーカーは、ウォーカー・ブラザースの余勢をかって絶頂期の人気でして、BBCでテレビショーを持ちます。
この頃の、そうしたスターというのはですね、必ず自分のテレビショーを持ちます。
日本でも有名なのはアンディ・ウィリアムス・ショーとかトム・ジョーンズ・ショーとかですね、そういうようなものなんですけれども。
このころから、そうしたものに対する抵抗というのが、この人の中に出てきまして。
ヨーロッパ風味のジャック・ブレルのサウンドと、それまでのアメリカのスタンダードとか、ポップミュージックの色合いとは明らかに相容れないものがありまして。
そんな中で、やっぱりレコード会社側としてはヒット曲が作りたい。
そこで出ましたのが1968年にシングルカットされました、トニー・ハッチ、ジャッキー・トレントによります「JOANNA」という日本でもたいへん有名な曲ですけれども、全米7位に上がりまして。
結局これは、昔のスコット・ウォーカーのイメージといいましょうかですね、そういうものと、そうしたソロアルバムの中での自分の思考がだんだん乖離していく、そういう時代です。
それは別として「JOANNA」は素晴らしい作品です。
JOANNA / SCOTT WALKER
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トニー・ハッチ、ジャッキー・トレントの作品ですけども、のちにスコット・ウォーカーがインタビューで、歌詞のかなりの部分を書いたと。
特に最後の「you may remember me and change your mind」は僕が書いたんだと。
歌えちゃうんですよね。
自分のポリシーは、自分でもっと作曲をして詞も考えてやりたいんだけど、レコード会社とマネジメントに従っていかなきゃなんない自分と、そうじゃない自分とがあります。
ソロアルバムを出していくなかで、自分で作詞作曲するパートが多くなっていきます。
『SCOTT WALKER3』という3枚目のアルバム、69年になりますけれども、このころから、明確にそうしたポップシンガーとしての立場がいやだという、そういうようなことになってきまして、マネージャーともめ始めまして。
マネージメントから離れていくことによって、何といいましょうか、プロモーションが弱くなっていって、だんだん売上が減っていくという、そういうような時期なんです。
90年代くらいになりますと、そうした反逆の姿勢で生まれた作品がカルトな評価を受けていくと。それは来週申し上げたいと思います。
『SCOTT3』から1曲。全13曲中、ジャック・ブレルが3曲で残りの10曲はスコット・ウォーカーの作詞作曲。
このへんから転換がはじまります。
その1曲め「IT'S RAINING TODAY」、失恋の歌であります。叙情的な詞で歌われます。
IT'S RAINING TODAY / SCOTT WALKER
これの編曲は、ウォーリー・ストット(Wally Stott)という人で、のちに性転換手術で女の人になるんですが、こういうアバンギャルドなアレンジの人で、編曲的にも前衛度をどんどん増していくという。
そりゃマネージャと揉めますわね。
もっと売れるのをやれとか、もっと売上を上げろと。
この次の『SCOTT 4』はついにアルバムがチャートに入らない。
だんだん大変になってきます。
『SCOTT4』の次にテレビショーの音楽をアルバム化しまして『Sings Songs from his T.V. Series』。これは本人は全く語らない。
そのあとに出たのは1970年の『'Til The Band Comes In』で、これはオリジナルソングがアルバムのA面で、B面はポピュラーミュージックのカヴァーヴァージョン。
完全に分裂が始まっています。
でも作品的にはいいものがたくさんありまして、その中から「JOE」、自作です。
JOE / SCOTT WALKER
ウォーカー・ブラザースからスタンダードナンバーでテレビショーという感じで、そのまま行っておれば、アンディ・ウィリアムスとかトム・ジョーンズみたいな、いわゆるラスベガスとかクラブとか、そういうところで今でもやっているような人になれたんですけども、それが嫌だという。
『'Til The Band Comes In』のアルバムのあとに出しました『The Moviegoer』という、映画音楽を歌っているアルバムがあるんです。1972年の。
これは消し去りたいアルバムだそうで、未だにCD化されておりません。
アナログしかないので、今日はアナログでお聴きをいただきます。
でも歌はちゃんと歌ってるんですよ(笑)
これが面白いんですけども。
このなかから私の大好きな「The Fox」「女狐」というアメリカ映画があるんですけど、これのテーマソングで「That Night」という曲がありまして、素晴らしいヴォーカルです。
1972年の『The Moviegoer』、映画ファンとか映画狂という意味ですが、そのなかから「That Night」
THAT NIGHT / SCOTT WALKER
ラロ・シフリン(Lalo Schifrin)の曲です。
要するに映画の主題歌ばかり集めていて、「ゴッドファーザー」とか「サマー・オブ42」とか「ひまわり」とか。
72年のこのへんから、翌年73年の『Any Day Now』というアルバム。その次の73年『Stretch』。74年の『We Had It All』
このへんはロストイヤーと自分で呼んでいると。
ようするに、やりたくない!
そこから隠遁します。活動を停止してしまいます。
そのあとどうなるかというのは、また来週お聴きいただきたいと思います。
来週からはアバンギャルドになります。覚悟してください(笑)
<この項おわり>