各曲に関する達郎氏のコメントのを書き起こし、YouTubeに音源がある場合は貼っておきます。実際にオンエアされた音源とはヴァージョン違いなどがあります。
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今日の特集はジョー・オズボーン(Joe Osborn)です。
1960年代にウエストコースト、カリフォルニアで活躍をしたスタジオミュージシャンです。
私が10代の時に夢中で聞いた音楽のベースを弾いている人ですが、昨年(2018年)の12月14日に亡くなってしまいまして、享年81だそうです。
本当にこのベーシストが好きなので今日はジョー・オズボーンの追悼特集をしようと思います。
今まで何度か追悼特集をやってきましたが大体はシンガーで、ベーシストの特集は初めてでしょうか。
とにかく60年代を代表するベーシストなので、やった曲の数は枚挙にいとまがありません。超有名な曲ばかりです。
今日はその中でも彼のベースのタッチが良くわかる曲を選曲しました。サンデーソングブックらしい特集です。
ジョー・オズボーンはルイジアナの生まれで、元々はギタリストでしたがベーシストに転向して1960年代にカリフォルニアに出てきました。
リック・ネルソン(Rick Nelson)のバックバンドに入っていたジェームス・バートン(James Burton)と知り合いで、それでカリフォルニアに呼ばれてバックバンドに入り、ここから華々しいキャリアがスタートします。
最初期の作品がレコードに残っています。リック・ネルソンの全盛期と重なる形で、ベースの輪郭がよくわかります。1961年のリッキー・ネルソンのミリオンセラー「Travelin' Man」
ジェームス・バートンのギターが素晴らしいです。
1960年代の前半までは、スタジオミュージシャンと呼ばれる人たちは、よくこの番組でも申し上げますけれども短い時間でスタジオで曲をあげなければならないので、演奏力がまず優れていないといけない。それと読譜力が優れてないといけない。
それなので60年代前半までのスタジオミュージシャンはそれまでの音楽でありますジャズとかカントリーミュージックとかそういうもののバックグラウンドで活動していました。
しかし1950年代の末からはロックンロールの勃興に伴って、純粋にロックンロールを頭のてっぺんから足の先まで浴びて育ってきた新しい世代というのが、1960年代の中期になるとスタジオミュージシャンとして登場します。
それまでのスタジオミュージシャンとは違ってロックンロールですから、ちょっとインディでガレージっぽい音を出す人たちがだんだん注目をされてきて、カリフォルニアでもそうした具合に主役が交代していきます。
そのなかでジョーは最初のロックンロールベーシストのスタジオミュージシャンと言われる一人です。元々ギタリストでしたのでピック弾きですので 非常にエッジの強いサウンドをしております。
そんな中でリック・ネルソンのライブやレコーディングやっておりましたけれども、1960年代の中期にジョニー・リバース(Johnny Rivers)と知り合います。
彼も南部で活動していた人で下積みが長い人で、10いくつのレベルを転々としましてカリフォルニアに来ました。
プロデューサーのルー・アドラー(Lou Adler)と知り合ってウイスキーアゴーゴーのステージで人気を集めてようやくブレイクするんですけれども、その時にレコーディングに参加したのがジョー・オズボーンです。
デビュー曲がチャック・ベリー(Chuck Berry)のカバーです。
メンフィから2作出しまして、3作目のヒット。1964年の全米2位のこのヒットソングもジョー・オズボーンのイントロのベースから非常に印象的なサウンドが聞けます。
ジョニー・リバースの「Mountain of Love」
この曲はハロルド・ドーマン(Harold Dorman)という人のヒット曲のカバーです。
このジョニー・リバースのプロデューサーのルー・アドラーは、後にキャロル・キング(Carole King)や何からいろいろやるウエストコーストの大立者ですけれど、この人がプロデュースしていく中でリズムセクションの強化を考えました。
集められたのがドラムのハル・ブレイン(Hal Blaine)、 キーボードのラリー・ネクテル(Larry Knechtel)、そしてジョー・オズボーン。
ギターは何人もとっかえひっかえなんですけれども、ベース、ドラム、キーボードの3人はルー・アドラーのプロダクションでは常に一定でありまして、ルー・アドラーが設立しましたダンヒルレーベル、ここでこの人たちが全部レコーディングをしますので、いつのまにかこの人たちはダンヒルリズムセクションと言われるようになります。
1966年67年ごろからカリフォルニアミュージックの中核を担っていくわけです。
枚挙にいとまがないのですが、その中で一番最初にブレイクしたのがママス&パパス(The Mamas & the Papas)。
「California Dreamin'」でデビューしましてから、ほとんど全てがこのジョー・オズボーン、ハル・ブレイン、ラリー・ネクテルのリズムセクションになります。
その中からジョー・オズボーンらしいフレーズがよく聞ける二つ。まずは1967年の「Twelve Thirty」。 私が大好きな曲です。
ママス&パパスは元々はニューヨークで活動していたのですがカリフォルニアに来ました。だからカリフォルニア讃歌が多いんです。
「California Dreamin'」が典型ですが、この曲も「ニューヨークという街は12時半で止まったままの時計だ」という歌です。
もう一曲、ママス&パパス。同じく1967年ですけれども、これはスタンダードナンバーをロックンロールにアレンジした本当に好きな曲です。
たった2分足らずの演奏なんですが、ダンヒルリズムセクションのいいところが全部出ている。
元々は1936年のリチャード・ロジャース(Richard Charles)、ロレンツ・ハート(Lorenz Hart)のミュージカル「オン・ユア・トウズ(On your toes)」。
「10番街の殺人」の曲も「オン・ユア・トウズ」にありますが、その中の曲で非常に有名なスタンダードなんですが、これが原型をとどめないほどのロックンロールナンバーになっております。
ドラムとベースのダイナミクス。「Glad To Be Unhappy」
この辺からウエストコートのリズムセクションといえばジョー・オズボーン、ハル・ブレイン、で、とにかくFENでかかっている曲の全部。
このドラムとベースは誰がやっているのか、私はアマチュアでドラムをやっていたので、このベースの独特のテイストというのは一体誰がやっているのか。そのうちにこれがジョー・オズボーンとハル・ブレインであるということが判明しまして夢中で追いかけました。
ダンヒルの音というのはこの人たちで出来上がっていますので、それを一生懸命聞いていました。
一番有名なのは「MacArthur's Park」ですが、後はサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」。
噂を聞いてわざわざニューヨークからきたという。そういう曲を全部かけているととても時間がありません。
ルー・アドラーと並んでもう一人このリズムセクションを一生懸命使ったプロデューサーがいまして、ボーンズ・ハウ(Bones Howe)。
この人はレコーディングエンジニアからスタートした人です。この人がプロデュースしたのがフィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)、もう一つアソシエーション(The Association)、これが代表する二つです。
アソシエーションはほとんど全部ジョー・オズボーンとハル・ブレインが演奏したオケです。
「Windy」「Never My Love」など大ヒットがほとんどそうですけれど、これもそういう曲です。
イントロのベースのフレーズがいかにもジョーです。
1968年全米10位「Everything That Touches You 」、邦題「恋にタッチはご用心」
ママス&パパスでもアソシエーションでも何でもいいんですけれども、今日はジョー・オズボーンの特集なので、ベースが分かりやすいものを選んでおかけしております。
世界中でジョー・オズボーンの特集を何人やってるのかという感じですが、本当に好きなのでノンストップでもいいくらいですが、そういうわけにもいきません。
お次はグラスルーツ(Grass Roots)。
先ほどのアソシエーションもそうですが、この時代はバンドと言いながらもレコーディングは全部スタジオミュージシャン。
モンキーズなんかもそうですけれども、そうしないとヒットが生まれない、そういう過酷な芸能界の時代でした。
今でも大して変わりはしないと思いますけれども。
グラスルーツ、1968年の最大のヒット曲、全米5位のミリオンセラー。
「Midnight Confessions」
ジョー・オズボーンという人は割と面倒見のいい人で、新人ミュージシャンの育成と言うか登用と言うか、そういう事に熱心でした。
自分のガレージにちっちゃなスタジオを作りまして、そこでいろんな人にレコーディングをさせていました。
その中で一番ブレイクしたのがカーペンターズだそうです。
その縁でカーペンターズのレコーディングはジョー・オズボーンがやっています。
今日はかけませんが、ヒット曲のほとんどが彼のベースだそうです。
リチャード・カーペンターはジョーと非常にコミュニケーションが取れていたと伝えられています。
1970年代に入ってもヒット曲に関係しておりますが、ハル・ブレインと二人でやっているのが一番好きです。
1972年全米8位まで上がりましたアメリカのヒット曲「Ventura Highway」
あと抜かしてはならないのがフィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)。
彼らは初期はジョニー・リバースのソウルシティというレーベルでやっていまして、そのときからダンヒルリズムセクション。
ボーンズ・ハウのプロデュース、ジミー・ウェブのプロデュース、色々ありますけれども、ハル・ブレインとジョー・オズボーンは不変です。
そんな中からこれもジョー・オズボーンのキャラクターがよく出ている作品で、あまりにも有名な1969年の全米ナンバーワン、ミリオンセラーの「Aquarius/Let the Sunshine In」。ミュージカル「ヘア」からの作品です。
カリフォルニアのスタジオシーンは、1960年代の前半のスタジオミュージシャンはレッキングクルー(Wrecking Crew)と言われまして、最近注目されていますけれども、1960年代の後半になりますとこのダンヒルリズムセクションになる。
僕などは世代的に圧倒的にダンヒルリズムセクションの方ですが、大瀧詠一さんとよくその話をして論争になります(笑)
彼は僕より5つ上なので、ベーシストで言うとキャロル・ケイ(Carol Kaye)、レイ・ポールマン(Ray Pohlman)とか。
僕は絶対にジョー・オズボーン。それで色々と話をしたのが懐かしい思い出です。
今となっては皆さん素晴らしいミュージシャンですが、それまでのベーシストというのは特にオケの中で地味に働いていますが、この人はもうちょっと目立つと言うかちょっとロックンロールな感じがします。
そういうところがものすごく好きでした。
心よりご冥福をお祈りします。私の十代を育ててくれたベーシストの一人です。
1960年代から70年代の頭にかけてとにかく売れたベーシストでして、トップ40に200曲以上入っている。それで売れすぎちゃって体を壊してしまいまして、1970年代の中期にナッシュビルに移り住みます。仕事を減らしたくてですね。
その結果、その後はカントリー系の仕事をたくさんします。ケニー・ロジャース(Kenny Rogers)とかジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)とかハンク・ウィリアムス ジュニア(Hank Williams Jr.)とか、そうした人の仕事をしながら1990年代になりますとセミリタイアしまして、故郷のルイジアナに帰りまして、たまに呼ばれた時に仕事をするという感じで81歳の生涯を閉じるわけです。
今日最後に聞いていただきますのはそういう時代の1985年、ニール・ヤング(Neil Young)がナッシュビルでアルバム「Old Ways」をレコーディングします。
これに何曲かジョー・オズボーンが参加しています。
この中から「Are There Any More Real Cowboys?」~本物のカウボーイってまだいるのだろうか?
#この項おわり