リンジー・ディ・ポールは、1970年代にヒットを連発した、イギリスの女性シンガーソングライター。
1948年生まれ。
オリビア・ニュートン・ジョンや由紀さおりと同い年、という世代の人である。
モデルさながらの美貌の持ち主だが、もともとはソングライターとして活動をはじめ、ステージには立っていなかった。
例えば、彼女が書いたフォーチュンズの「Storm In A Teacup」は全英7位のヒットを記録している。
1972年にはシングル「シュガー・ミー」で歌手デビュー。
これがいきなり全英トップ10にランクイン。
いや、それにしても可愛い。
同じく72年の「ゲッティング・ア・ドラッグ」、73年の「夢のパートナー(Won't Somebody Dance with Me)」、いずれもトップ20に入るヒットとなる。
恋多き女性としても知られ、数多くの男性、それもリンゴ・スターやショーン・コネリーなどのビッグネームとのロマンスが話題になった。
その歴代のボーイフレンドの一人が、ELOのロイ・ウッド。
フィル・スペクターのフォロワーとしてはイギリスを代表する一人で、いわゆるウォール・オブ・サウンドの名曲をいくつも書いている。
リンジーも彼の影響を大いに受けたようで、1974年にリリースした「恋のウー・アイ・ドゥ(Ooh I Do)」は、まんまウォール・オブ・サウンドである。
全英25位。日本でもヒットした。
ロイ・ウッドがアレンジやレコーディングに関わったのでは、という説もあるが、実際のところはわからない。
リンジーは80年代以降、歌手活動のほか、プロデューサー、女優、テレビの司会やコメンテーター、さらには護身術のビデオリリースして話題になるなど、マルチな活動を続ける。
しかし惜しくも2014年10月、脳出血のため永眠した。
享年64。
生涯独身だった。
<了>