山下達郎サンデーソングブック2022年2月27日『リクエスト特集』で
「死ぬほど聞きました。名盤中の名盤」とコメント。
このアルバムの中から、リクエストがあった「COMPANY」がオンエアされた。
リッキー・リー・ジョーンズは19歳の頃にロサンゼルスで暮らし始め、ウェイトレスとして働いた後クラブシンガーになった。
1977年にトム・ウェイツと知り合って同棲生活をスタート。
彼女が書いた「イージー・マネー」のデモ・テープがリトル・フィートのローウェル・ジョージの目に止まり、彼のソロ・アルバムに採り上げられた。
それがキッカケとなりワーナー・ブラザーズと契約し、ソロデビューに至る。
チャンスを手にするここまでのストーリーは、まあ、わかる。
驚くのは、そのソロアルバムに集結したメンバーがやたらと豪華なことだ。
プロデューサーはレニー・ワロンカーとラス・タイトルマン。
ジャケット写真を撮ったのはノーマン・シーフ。
参加したミュージシャンは、
ランディ・ニューマン、マイケル・マクドナルド、ドクター・ジョン、ウィリー・ウィークス、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、アンディ・ニューマーク、ニック・デカロ、バジー・フェイトン、ニール・ラーセン......
なんともすごい顔ぶれだ。
もちろん当時は、まだ若手だったミュージシャンも多いが、彼らもイキのいい腕利きミュージシャンだったことは確か。
デビュー前でありながら、リッキー・リー・ジョーンズを評価する声が、ミュージシャン仲間の間でも大きかったからこそなのだろう。
アルバムは、フォーク、ジャズ、ブルース、ロックの要素を織り交ぜたオーガニックで陰影の深いサウンドで、曲の完成度は高く、彼女のアンニュイでキュートなヴォーカルも魅力。
アルバムは全米3位の大ヒット。
同アルバムからシングルカットされた「恋するチャック」も全米4位の大ヒット。
グラミー賞の最優秀新人賞を受賞し、一気にポピュラー音楽の頂点に躍り出た。
では、日本でも大ヒットしたのか、というと、そんな印象は実は薄い。
当時、私もリアルタイムで洋楽を追いかけていたが、ラジオでがんがんかかっていた、というような記憶はない。
というもの、なんせ1979年は、話題作・重要作が多すぎた。
レッド・ツェッペリン「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」
イーグルス「ロング・ラン」
マイケル・ジャクソン「オフ・ザ・ウォール」
クラッシュ「ロンドン・コーリング」
ピンク・フロイド「ザ・ウォール」
ポリス「白いレガッタ」
ロック史上に名を残すこれらの作品が、すべて1979年リリースなのである。
時間的にも経済的にも、これらの作品を聞くのが精一杯で、新人歌手まで追いかけられなかった人が、私を含めて多かったのではないか。
また彼女のような音楽を取り上げる雑誌も「ミュージックマガジン」くらいで、あまり情報もなかった。
それでも輸入盤ショップなどから、徐々に評判は広まり、私も翌年には聞いていたが、正直その魅力はよくわからなかった。
しばしば、ターンテーブルに乗せるようになったのは、ロック熱がやや冷めてきた数年後のことである。
<了>