本日5月13日は、スティービー・ワンダー氏の誕生日である。
71歳になったそうだ。
というわけで、この記事を書いているのだが、
「西城秀樹さんと、西田ひかるさんと、スティービー・ワンダー氏の話」
このタイトルだけで「ああ、その話ね.....」と3人のつながりがわかる方には
「いまさら、すみません!」というしかない。
「どおゆうこと?」という方は、どうぞお読みください。
まず、スティービー・ワンダーについて多くを語る必要はないだろう。
ヒット曲、ヒットアルバムは数しれず。
グラミーの受賞は20回以上にもなる。
アルバムは2005年の『タイム・トゥ・ラヴ』以降出ていないが、2020年秋には新曲2曲を公開した。
「Where Is Our Love Song」と「Can't Put It In The Hands Of Fate」である。
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さて、このスティービーが79年に発表した作品を西城秀樹さんがカヴァーしている。
これはキャリアのある秀樹ファンなら誰でも知っている話。
1980年3月にリリースされた32枚目のシングル「愛の園」がそれだ。
アレンジは坂本龍一さん、シンセサイザープログラマーが松武秀樹さんと、超一流のクリエイターが参加していることも忘れてはならない。
制作には相当にチカラが入っていたのだろう。
ワイルドで情熱な秀樹さんのイメージから離れて、人柄がにじみ出た優しい歌が魅力だ。
おとなしく地味な曲ではあるが、オリコンでは7位まで上がっている。
で、スティービー・ワンダーのオリジナルのタイトルはというと
これが「Ai No, Sono」なのである。英語じゃないのだ。
アルバム『シークレット・ライフ』に収められた一曲で、シングルカットはされていない。
この曲はスティービー・ワンダーは歌っておらず、インストのあと児童合唱団が歌っているのだが、その中の一人に、当時アメリカに在住していた西田ひかるさんがいたのだ。
西田さんは72年生まれだから、7歳くらいのはず。
もちろん将来芸能界に入ることなど、本人もご家族も考えていなかっただろうけれど、1988年にデビュー。歌やミュージカル、司会などで大活躍する。
秀樹さんと西田さんは、その後NHKの番組「青春のポップス」で一緒に番組の進行を担当した。
1998年4月から2002年3月までの放映期間中、秀樹さんはずっと司会を担当。
森口博子さん、早見優さんに続く3人目の女性アシスタントが西田さんだった。
番組の映像がある。マンハッタンズの「シャイニング・スター」を紹介。名曲中の名曲。
西田さんは、秀樹さんを追悼した自身のブログ記事に、その番組で撮った二人の写真を載せている。
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