おとのほそみち

行きかふ歌も又旅人也

山下達郎サンデーソングブック 2月24日「ロイ・オービソン特集2」

オンエアされた各曲に関する達郎氏のコメントの趣旨を書き起こし、YouTubeに音源がある場合は貼っておきますが、オンエアされたものとは別音源の場合があります。

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ここんとこ、ずっと継続しております、竹内まりやさんのRCA時代のアルバム5枚ありますが、いよいよ4thアルバム「Miss M」、1980年のアルバムが、リマスター、ボーナストラック付きで出ます。今日は、その中から1曲。

Sweetest Music/竹内まりや

 

私、ロイ・オービソンが大好きで、ほとんどの曲は聴いておりますが、まとめて聴いたのは、ほんとに久しぶり。

中学時代の記憶とかが、よみがえって参りました。懐かしい感じがいたします。

私自身はロイ・オービソン、若干遅れてきた少年でございます。

というのも、当時ロイ・オービソンのシングルは、私が中学入るまでは、全部廃盤でなかなか手に入らなかった。そういうような事情がありますので。

今日は、そんなような自分史に基づいたロイ・オービソンのリスニング経験というものを織りまぜてお聴きいただきたいと思います。

先週に引き続きまして、今日もヒット曲がたくさんございます。

63年以後のロイ・オービソンの活動。

それから悲劇的ないろいろな経験、ドラマティックな人生、そういうようなものも織りまぜてお聴きをいただきたいと思います。

先週に続きまして「ロイ・オービソン特集Part.2」です。

先週は、名だたるヒット曲、60年代前半のですね「オンリー・ザ・ロンリー」「ランニング・スケアード」「クライング」など、抜群の歌唱力に裏打ちされた作品をお聴きをいただきました。

当時の南部の、特にロカビリー、ロックンロールシーンのなかでは珍しいバラ―ディアでありまして、トーチソングというような感じですけれども、ロックンロールの曲が下手かというと、そんなことは全然ありません。

次にお聴きをいただきます曲はエルビス・プレスリーの曲のカバーで、1963年にロイ・オービソンのシングルとして全米5位まで上がりました。

私、この曲大好きで、私のライブでは、もう30年以上、いつもこの曲の一節を歌っております。エルビスのバージョンではなくてロイ・オービソンのバージョンでやっている(笑)というのが、私のライブの特徴です。

Mean Woman Blues/Roy Orbison



これのB面の曲が、両面ヒットになりました。全米29位「ブルー・バイユー」という曲です。1977年に、リンダ・ロンシュタットがカバーしましてプラチナ・シングルになりました。これで70年代、ロイ・オービソンがまた注目を浴びる一助になりました。南部っぽい、テクス・メクスのにおいが満載の1曲です。

Blue Bayou/Roy Orbison

BAYOUは南部の沼とか湿地帯、ミシシッピデルタとかの。そこに彼女をおいてきてしまった、もう一回会いたい、そういう歌です。ラテン風味です。

年が明けて出たこの曲も、ロイ・オービソンファンにはたいへん人気の高い曲。1964年全米9位、イギリスでは1位をとりました。

It's Over/Roy Orbison

終わった恋、文字通りの悲しい歌でございます。

しかし、よく声がでます。先週おかけした「クライング」は24歳の時。この「イッツ・オーバー」は」27歳のときの歌唱です。とにかく、いい声をしてる人です。

シンガーのボビー・ゴールズボロがロイ・オービソンのコーラスをしていた時代の思い出として、ロイ・オービソンは風邪をひいても声が変わらなかったという、そういう逸話が残っております。

あとロイ・オービソンといえば、サングラスがトレードマークなんですけども、これも有名な話があります。

63年に、イギリスのツアーに行きまして、そのときは前座がなんとビートルズで、まだデビュー前のビートルズです。

その直前のアメリカ・ツアーのときに、メガネを忘れてしまって、持っていたのがサングラスしかなかった。目が悪いので、メガネなしにはものが見えないので、サングラスをして行ったんですけど、そしたら、わりとそれが気に入って、サングラスがトレードマークになったという、そういう逸話が残っております。

ロイ・オービソンはそういうわけで、イギリスでものすごく人気が、このころから出まして、その後も、ずーっとイギリスでの人気が衰えないので、それが復活のきっかけにもなるわけです。

そんな中で1964年、彼にとっての最大のヒット曲が生まれます。全米ナンバーワンでミリオンセラー。

のちに1990年に同名の映画の主題歌となりまして。これがお若い方に知られるきっかけになりました。超有名曲です。

Oh, Pretty Woman/Roy Orbison



私事で恐縮ですけれど、当時、私が中学に入るころロイ・オービソンのレコードは全部廃盤でした。聴けませんでした。

ロイ・オービソンの名前を知ったのは、ベンチャーズです。1965年、私が中学1年のときに発売されましたベンチャーズの「ノック・ミー・アウト」というアルバムに「オー・プリティ・ウーマン」が入っておりまして、その解説を書いていたのが、亀渕昭信さん。その解説にロイ・オービソンのヒット曲だと書かれておりました。

その当時は、レコード屋行けばレコードはなんでもあると思っていましたので、東京の目白のレコード屋へ行きまして「すいません、ロイ・オービソンください」というと「全部廃盤です」って言われましてガーンときました。

それから1年くらいしまして、中学2年か3年の頭だったと思いますけども、池袋のデパートの地下で、当時発売されましたシングル盤の返品になったジャケットに穴をあけまして100円で売ってるという、100円シングルと我々は呼んでました。そこへロイ・オービソンが、あったんです。

それが生まれて初めて買ったロイ・オービソンで、今からお聴きいただきます。これ1964年にイギリスのみで発売になりましてチャートで15位まで上がりました。その日本盤が発売され、私は買ってきまして。これが初めて聴いたロイ・オービソンなんて上手い歌なんだろうって、驚いた記憶があります。邦題が「つむじ風に乗って」。

Borne On The Wind/Roy Orbison


イギリスでヒットしたのは「オー・プリティ・ウーマン」より前ですが、同じ年のイギリスでのヒットです。このころロイ・オービソン、イギリスでものすごい人気があったのです。

私はちょっと遅れてきた少年なので3,4年遅れました。だから大瀧詠一さんぐらいの世代が、一番ロイ・オービソンがリアルタイム。でもリアルタイムといっても、ほんとにそのころは、洋楽にのめりこんでいる人しか、ロイ・オービソン聴いてませんでしたから。やっぱり歌謡曲のほうが、力がありましたからね。

私は、ちょっとそれよりも遅れて入っていったんですけども、運のいいことに、100円シングルっていうのが出てきまして、「ミーン・ウーマン・ブルース」「イッツ・オーバー」「オー・プリティ・ウーマン」、そういう主要なヒット曲がどんどん手に入るようになって、夢中になってロイ・オービソンを聴いてきました。

1964年のロイ・オービソンのミリオンヒットのころから、それまでのパートナーのジョー・メルソンという人と、だんだん距離がでてきまして、新しいコンビになります。ビル・ディーズという人ですけど、この人との実績が「オー・プリティ・ウーマン」。

これから、新たな平野が開けると思いきや、66年の話なんですが、クローデットという奥さんがいまして「クローデット」という曲を作るくらい愛妻家でした。

「オー・プリティ・ウーマン」というのも、このクローデットが出かけるときに「お金がいるか?」ってロイ・オービソンが彼女に聞いたら相棒のビル・ディーズが「プリティ・ウーマンにはお金はいらない」と、そこから「オー・プリティ・ウーマン」ができたというような逸話もあります。

この奥さんがですね、バイクで事故死をします。

そこで、ロイ・オービソンが、やっぱり精神的ショックで曲が書けなくなります。

それに重なって、ツアーやってる間に3人いた息子のうち、2人が火事で死亡するという......

ここから、60年代、全く作品が書けなくなってきます。そこから低迷が始まるのです。ロイ・オービソン自体の創作意欲、そういうものの責任じゃないんですけれども......

そんな時代でも、私、一所懸命買ってたんです。1967年のこのシングルは、キングレコードからちゃんと出してくれたんです。ラジオで結構かかりました。私、すごくこの曲で好きで一所懸命聴いてたおぼえがあります。

亡くなった奥さんへの鎮魂歌と言えるような1曲です。1967年。もちろんチャートには入ってません。オービソン&ディーズの共作です。歌は全然衰えていないです。

She/Roy Orbison



ほんとはカバーとかかけたいんですけども。2週間だとぜんぜんオーバーフローして、間に合いません。でも、必要なカバーは、まずこれかなと。

1961年、同じモニュメントレーベルにおりましたベルベッツというドゥ・ワップのグループに曲を提供しました。「ラフ」という曲が全米でスマッシュヒットしましたが、日本では、A面、B面入れ替えまして。「ラナ」というB面の曲をプッシュしましたところ、これが日本ではたいへんヒットしました。

我々はベルベッツといえば、この「ラナ」ということで記憶しております。これも亀渕昭信さんが推したという。のちにオービソンがセルフカバーします。

Lana/The Velvets



奥さんの突然の死、それから息子さんの突然の死。それが精神的にものすごくダメージを与えまして、67年あたりからヒット曲が激減します。なかなか大ヒットが出なくなります。アルバムも作り続けますし、ライブも続けるんですけども。

時代の変遷というのもありますが。何よりも不運が重なったというそういう感じです。

でも先週申し上げましたみたいに、他の誰とも違うスタイルなんです。唯一なもので、特にイギリスでの人気がものすごく強い人だったので、そうした業界シンパシーって言いましょうか、そういうものが、ずっと続いていきます。

それが70年代になり、もう半分忘れられた存在になりかけたんですけども、いろんな人のカバーが出てきました。さきほどのリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」とかですね。

そんな中で、1980年にアメリカで「ローディー」という映画がありまして、日本未公開なんですが、ここで歌われましたエミルー・ハリスとのデュエット・ソング「ザット・ラヴィン・ユー・フィーリン・アゲイン」という曲が全米55位というチャートアクションなんですけども。カントリーの部門でグラミー賞とりました。このあたり、80年代に入るあたりから、だんだん再評価というのがじわじわと出てきます。

ロイ・オービソン聴いて育った人たちが、みんなミュージシャンになって発言力を増してくるという、そういうような背景があります。そんな時代の1曲です。

このままいけば、カントリー・フィールドでですね長くやっていくというような感じでいたんですが。

That Lovin' You Feelin' Again/Roy Orbison & Emmylou Harris


80年代の後期に、ロイ・オービソンの再評価が高まっていくなかで、例えばのちに発売されますけれど、いろいろなミュージシャン集めてのロイ・オービソンのトリビュート・ライブ、本人も出ておりますけれど、ライブがあった。

そんな中で、やはりロイ・オービソンのファンだったジェフ・リンが、ロイ・オービソンに「僕はファンなんだよ」っていう具合に電話をかけたら、ロイ・オービソン気軽に応じてくれて、そこにジョージ・ハリスンが居合わせて、ジョージ・ハリスンと3人で何かを作ろうという時に、さらにボブ・ディラントム・ペティが加わって、ボブ・ディランのスタジオで作り始めて、ついにアルバムまでできてしまった。

トラヴェリング・ウィルベリーズという、レコード会社との契約の関係で匿名で88年にアルバムとして発売しました。これが大ヒット。

いきなりロイ・オービソンが再評価されるという、ほんとに、激動の人生といってもいいでしょう。

この88年のアルバム「トラヴェリング・ウィルベリーズ」の中のロイ・オービソンのパートの曲。

Not Alone Any More/Traveling Wilburys

トラヴェリング・ウィルベリーズのヒットで、ロイ・オービソンの思わぬ再評価、そして新しい平野が開けると思いきや......1988年の暮れに心臓発作で急死してしまいます。たいへん惜しむべき人です。でも歌声は永遠に残ります。

久しぶりにたくさん聴いて、感慨をあらたにしました。

特集の最後は、彼の死後に発売されました1989年のロイ・オービソンのアルバム「ミステリー・ガール」からシングルカットされ、ベストテン・ヒットになりました。

ジェフ・リン、ロイ・オービソントム・ペティの共作になります。プロデュースはジェフ・リン。

You Got It/Roy Orbison



さきほどエミルー・ハリスのことで、ロイ・オービソンのサントラの「ローディー」、劇場未公開でしたけども、DVDが出てるんです。ぜんぜん知らなかった。アマゾンで中古品買いました(笑)

新しい発見、まだあるという。なかなか音楽は深い。

#この項おわり