おとのほそみち

行きかふ歌も又旅人也



山下達郎サンデーソングブック 2月17日「ロイ・オービソン特集1」書き起こし

 

オンエアされた各曲に関する達郎氏のコメントの趣旨を書き起こし、YouTubeに音源がある場合は貼っておきますが、オンエアされたものとは別音源の場合があります。

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1. ミラクル・ラブ / 竹内まりや 
2. OOBY DOOBY / ROY ORBISON 
3. CLAUDETTE / THE EVERLY BROTHERS 
4. UPTOWN / ROY ORBISON 
5. ONLY THE LONELY / ROY ORBISON 
6. BLUE ANGEL / ROY ORBISON 
7. I'M HURTIN' / ROY ORBISON 
8. RUNNING SCARED / ROY ORBISON 
9. CRYING / ROY ORBISON 
10. DREAM BABY / ROY ORBISON 
11. IN DREAMS / ROY ORBISON 
12. COME BACK TO ME / ROY ORBISON '

 

明日、2月18日午後11時から6週間にわたりAbemaTVで配信されます、橋本環奈さんの主演ドラマ「1ページの恋」。これの主題歌に竹内まりやさんの「ミラクル・ラブ」が使用されています。
もともと91年の牧瀬里穂さんに提供した曲のセルフカバー。シングルのカップリングで発売されました。この曲が使われることになりました。

 

 

昨年、ロイ・オービソンの特集をいつかやってみようかとを申し上げましたら、たくさんご要望をいただきました。
じゃ、ロイ・オービソンを特集してみようと始めましたところが、とても、とてもたいへんなんです(笑)
なんか軽々しく言わなきゃよかった。
非常に力不足といいましょうか、荷が重い。
でも、ロイ・オービソンの曲がラジオでまとまってかかるということは、ほとんど最近ないので。
偉大なシンガーであることに変わりありません。没後、30年を迎えました。
今週、来週、2週間、ロイ・オービソンの特集です。

ロイ・オービソンは1988年の12月に亡くなりましたので、没後30年を過ぎました。
30年経っておりますので、なかなか特集が難しい。

ロイ・オービソンは、たいへんドラマチックな人生を送ったシンガーです。
他の誰とも違うシンガーです。ゆえに今でも人気が高い。ワン&オンリーの人です。

1960年代が全盛期ですので、音楽もその時代と今は違っていますので、死後30年経って再評価がたくさんされており、資料もたくさん出ています。
そういうのをなぞってもですね、なんたってヒット曲が多いので、それかけるだけで2週間はすぐいっちゃいます。
特集組んで後悔しまして。やめればよかったなぁと(笑)
ですので、言い訳しますけれども私的な特集です。
今までの一般的な評価、それからプレイリスト、そういうものとはちょっと違う選曲です。
特に後期のものは、私の私的な経験の中から選んだ自分の好きな曲。
ロイ・オービソンで棚からひとつかみにすれば、よかったんですよね。

1936年といいましたら昭和11年生まれ。服部克久さんと同じですね。
88年没なので52歳。
52歳というと割と早世な方が多くて、美空ひばりさんとか石原裕次郎さん。

ロック・ヒストリーの中で出てきて、いわゆるロカビリー・シーンから出てきたテキサス生まれの人なんですが、声がですね、何て言いましょうか、野蛮な声をしてない、優しいきれいな声をしている。

最初は、ロカビリーのバンドを組んで、カントリー系、ロカビリー系の音楽をやってたんですけども、あまりヒットが出なくて、自分の本来の声のトーンである、高音のきれいな曲をバラードで乗せることによってヒット曲が出て、全盛期を迎えます。

メンフィスのサン・レーベル、たいへん有名なエルビス・プレスリー、ジョニー・キャッシュら、そうそうたる人たちが出た登竜門ですけども、そこから56年に出しましたこの1曲が20万枚くらいのヒットになります。
これでロイ・オービソンの歌手としてのスタートが切られます。

1956年の出世作です。全米54位。のちにCCRがカバーします。ロイ・オービソンのカバーはとても多いです。

サン・レコードでロカビリー路線で始まりますけれども、その後、ヒットが続きません。RCAに移籍したりしますけれども、ぜんぜんダメで鳴かず飛ばず。


もうやめようかなとなりかけときに、エバリーブラザースとツアーで会います。
結婚したばかりの愛妻クローデット、この人のことを歌った「クローデット」という曲をエバリーブラザースが気に入ってレコーディングをしてくれました。
それがエバリーブラザースの58年のウルトラ大ヒット「All I Have to do is dream」のカップリングで発売されまして、全米30位。
B面ですけどもヒットして、ここが運命の分かれ道になり、運が開けてきます。

このあとずっと3年、4年、下積みが続きます。
モニュメント・レーベルという南部の、フレッド・フォスターという人がオーナーのレーベルに移籍したくらいから、だんだん運が開けてきます。

同時期に出会いましたジョー・メルソンという人と共作をし、このコンビで曲を書き始めてからいい作品が出てきます。
それをフレッド・フォスターの、非常に寛容なレコーディングシステムの中でじっくりと時間をかけて作るシステムが確立されまして、少しずつ作品が知られてきます。

そのジョー・メルソンと最初に組んでチャートに出ましたのが、1960年全米72位になりました「アップタウン」。これがヒットします。
ちょうどそのときに一緒に作っていました、この1曲。これが大ヒットとなりましてロイ・オービソンの華々しいキャリアが花開いていくわけです。
同じく1960年、全米2位。最初のミリオンセラー「オンリー・ザ・ロンリー」。
2曲続けて、どうぞ。

「アップタウン」っていうのは、いわゆる高級住宅街という感じです。
そこのペントハウスに住む女性に恋をしたベルボーイが、そのうちお金作って彼女を手に入れるという。
でっかい車と上等な服を手に入れて彼女に愛を誓いに行くんだと。
いわゆる高度成長期のアメリカですね。そうしたサクセスストーリーの歌です。

で、いよいよロイ・オービソンのスタイルが確立されました「オンリー・ザ・ロンリー」。それから先がいわゆる「失恋路線」になるという。
「孤独なひとたちだけが 今の今夜の僕の気持ちをわかってくれる
彼女が行ってしまって 永遠に去ってしまった
孤独なひとたちだけが それをわかってくれる
明日になったら 新しいロマンスに出会えるかも
でもそれは ただチャンスでしかない」

そういう悲しい歌なんですけど、それがナッシュビルのすばらしいスタジオミュージシャンの演奏に乗っかって、ロイ・オービソンの独特な悲しいトーンと言いましょうか。
今聴きますと、なんか簡単そうな演奏なんだけど、とんでもない!
このグルーブ出すの難しいんですから(笑)
南部の音楽の奥深さと言いましょうか。

ここから、いよいよロイ・オービソンの快進撃が始まります。
メルソン&オービソンのコンビ、ナッシュビルのスタジオミュージシャン、プロデューサーのフレッド・フォスターの採算度外視のレコーディングスケジュール。
そういういろんなものがありまして、あとからあとからヒット曲が出てくることになります。代表曲、1960年の全米9位「ブルー・エンジェル」。



当時のいわゆるロカビリー・シーンでは、非常に特異な存在でありましたロイ・オービソン。
「オンリー・ザ・ロンリー」が成功しましたので、イントロで、いわゆるスキャットですね。その路線といいましょうか、そういうものをしばらく続けることになります。
1961年のこの曲はアップテンポですけど、イントロはそうしたもので始まります。
バックをやっているのは南部の代表的なコーラスグループ、アニタ・カー・シンガーズです。全米27位、私の大好きな1曲「アイム・ハーティン」。



さきほどの「ブルーエンジェル」は恋に破れた女の子を慰める「僕だったら決してさよならは言わない」と口説く歌ですが、「アイム・ハーティン」は「恋人が出て行って二度と恋をしない 僕は傷ついている」という歌です。いわゆるブロークンラブソングが続きます。

「オンリー・ザ・ロンリー」の大ヒットを受けまして、形式が似ている二番煎じというか、そういう路線が続きますが、それで終わらないのが凄かった。ロイ・オービソンの名を上げる名作の数々が出てきます。
マンネリ化を防ぐために、新しい曲調を開発しようと。
ロイ・オービソンとジョー・メルソンのコンビが出してきましたのが1961年、これがロイ・オービソンにとっての初めて全米ナンバーワンになります。
代表作中の代表作「ランニング・スケアード」。


私も長いこといろいろなポップソングを聴いてきましたけども、こんなストリングスの曲は、なかなかない。たった2分12秒なんですけどね。
スローに始めてクライマックスにいくんですけど、終わり方がとっても不思議なんですよ。突然終わるという。不思議な作曲技法です。

「怖くなるんだ 二人でどこへ行っても 彼が現れるんじゃないかと それが怖い 僕はどうしたらいいの 彼が戻ってきて 君が求めたら 怖くて気分が滅入ってしまう 君はとても彼を愛している 僕は君を失うのが怖い もし彼が帰ってきたら君はどちらを選ぶのか するとそこに彼が立っていた 自信ありげに堂々と 胸が張り裂けそうで 君はどちらを選ぶのか でも君はこっちを向いて僕についてきてくれた」
そういうハッピーエンドな結末の不思議な曲です。


これに続いて同じ61年に出ました。これも究極のロイ・オービソンの歌です。こちらはハッピーエンドではありません。
「しばらくは大丈夫だった しばらくは笑うことだってできた でも昨日の晩君に会った時 君は僕の腕に抱きついて 立ち止まってハローと言って
僕の幸せを祈ってくれた 君にはわからなかっただろう 僕が君のために泣いていたことは 君はさよならと言って僕をひとり置き去りにした 僕は泣き崩れた とても納得できないでも君の手の感触が再び僕を泣かせる 僕は涙にくれた」
他の男と去っていったんですが また自分に会って「元気?」という女の人によくあるやつですね(笑) 昔を振り返らないと言う。それで僕は泣いているんだという歌です。
究極のトーチソングです。61年の全米2位「クライング」。1981年にドン・マクリーンがリバイバルしてそれもベスト10に入りました。

 


ロイ・オービソンはテキサス生まれですが、彼が生まれた時代のテキサスは石油の採掘の労働者が多かったマッチョな都市。ですがロイ・オービソンは内気な少年だったようです 。内向的な性格だったようで、その性格がこうした歌に現れてくる。
今日の前半の終わりから後半にかけてロイ・オービソンは押しも押されもせぬ大スターになりまして、レコーディングやツアーに精を出します。


ヒット曲は続いていきます。次は62年、これもベスト10ヒットになりました「ドリームベイビー」という当時としては割と明るい曲調です。
「君のことを夢見ている 夢見ているだけじゃ物足りない それを現実のものにしてくれ」という曲です。

 


今度は63年に移りますが、これもベスト10ヒットですが、これは後に1986年にデビッド・リンチが「ブルー・ベルベット」という映画で使いまして、そこで非常に話題になりました。元々は63年のシングルです。
「夢の中で僕は君と歩き 夢の中で君に話しかける  夢の中で君は僕のもの  いつだって夢の中では君と一緒 でも夜が明ける直前に 僕は目覚め君が去っていったことを知る 僕にはどうしようもない 泣いてもしょうがない  君が言ったさよならを思い出す 悲しいことにすべては 夢の中でしか起こり得ない」そういう悲しい歌です。1963年のベストテンヒット「イン・ドリームス」。

 


実はですね、ロイ・オービソン、今では日本ではかなり名前を知られていますけれども、60年代の全盛期は、それほど日本では有名ではありませんでした。
人気がアメリカほど大きくないということを危惧したニッポン放送の亀渕昭信さんが、1960年のファースト・アルバム「ロンリー&ブルー」に入っておりますこの1曲を1963年にレコード会社を説得して発売しましたところ日本で大ヒットしました。
これは日本でしかヒットしてない曲となって認知されました。
ここからロイ・オービソンの知名度がドンと上がっていく。
で、この曲は「オンリー・ザ・ロンリー」の前にレコーディングされまして、「オンリー・ザ・ロンリー」のスキャットのパターンっていうのは、この曲から始まったわけです。
これを発展させて「オンリー・ザ・ロンリー」のイントロにしたということは、今ではよく知られております。
当時はですね、こっちの「カム・バック・トゥ・ミー」が「オンリー・ザ・ロンリー」の後だとか、いろいろありましたが、歴史的な順序っていうのは、今でははっきりしています。
これを最後にお聴きをいただきます。
1960年のアルバム「ロンリー&ブルー」から、63年に日本でシングルカットされました。我々の世代にはお馴染みの曲です。「カム・バック・トゥ・ミー」。

 


#この項おわり