おとのほそみち

行きかふ歌も又旅人也

西城秀樹さんがカバーしたグラハム・ボネットの曲

 

ハードロックにおけるレジェンドヴォーカリストの1人、グラハム・ボネットが2019年5月に来日。東名阪でコンサートを行った。

昨年、新生グラハム・ボネット・バンドで新作をリリースしたが、このバンドをアルカトラスに改名しての来日だという。

改名とはいうものの、そもそもアルカトラスは、1980年代に自らが率いていたバンドの名称だ。

今回のツアーでは、アルカトラスのデビュー・アルバム「No Parole from Rock'n'Roll」や、かって在籍したをレインボーの歴史的名盤「Down to Earth」を完全再現。

70歳を超えてなお勢いの衰えぬヴォーカルで、観客を熱狂させた。

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ハードロックのヴォーカリストというとロングヘアに革ジャンが定番だが、グラハム・ボネットは短髪にジャケットという伊達男風のスタイル。

若い時分から、同じバンドのメンバーたちに「その格好をなんとかしろ」と何度も言われてきたらしいが、どこ吹く風。

自分のスタイルを貫き通し、多くの著名なバンドを渡り歩き、ソロとしても実績を残してきた。
日本にはこんなキャリアのヴォーカリストはいないし、欧米でも珍しい存在だ。

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メジャーデビューは1968年。70年代前半までは、さほど目立った実績は上げていないが、1977年の初のソロ・アルバム「Graham Bonnet」、セカンド「No Bad Habits」が注目を集める。

大きな転機を迎えたのが、1979年。

リッチー・ブラックモア率いるレインボーに加わり、彼らの4枚目のアルバム「Down To Earth」でヴォーカルを務める。

ダウン・トゥ・アース

ダウン・トゥ・アース

  • アーティスト: レインボー
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2012/01/18
  • メディア: CD

最初にシングル・カットされた「Since You Been Gone」はラス・バラードの曲のカバーだが、レインボーとしては初の全英トップ10入りを果たす。

アルバムも同じくトップ10に入るなど一般ウケはよかったのだが、ハードロック路線だったのがいきなりポップで明るくなるわ、ヴォーカルは短髪のヤサ男になるわで、それまでのレインボーのファンからの評判はあまりよくなかった。

まあ、バンドの転換期にはよくある話だが、メンバーの中でも目指す方向に差があったようで、グラハム・ボネットは、このアルバム1枚のみで脱退してしまう。

レインボーでの実績が認められていたこともあって、間をおかずソロ契約を結ぶことができ、81年にはソロとしては3作目のアルバム「Line UP」、シングル「Night Games」をリリース(邦題はどちらも「孤独のナイトゲームス」)。

「Night Games」は全英トップ10入りを果たす。

孤独のナイト・ゲームス

孤独のナイト・ゲームス

  • アーティスト: グラハム・ボネット
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2016/05/18
  • メディア: CD


さて、西城秀樹さんはこの時期のグラハム・ボネットの活動を、かなりしっかりと追いかけていたようだ。

1980年にリリースされた「BIG GAME'80 HIDEKI」において、レインボーの「Down To Earth」から何とこの3曲をカバーしている。

「All Night Long」
「Eyes of the World」
「Lost in Hollywood」

この時期の秀樹さんのライブに洋楽カバーが多いことは、ファンにはよく知られているが、ひとつのアルバムから3曲とは、ちょっと驚く。

このうち「All Night Long」は全英5位まで上がったが、ほかの2曲はレインボーはシングルカットしていない。あくまでもアルバムの中の曲なのだ。

そしてグラハム・ボネットがレインボー脱退後に最初に飛ばしたヒット「Night Games」を、秀樹さんは1983年にシングルでカバーしている。

当時、私はもちろんグラハム・ボネットのオジリナルを知っていたので、西城秀樹というトップアイドルが、これをカバーすることに驚いたものだ。

ただ、聴き比べればわかるが、グラハム・ボネットと秀樹さんの唱法はけっこう近い。

ややハスキーな陰影の深い声で、ドラマチックに歌い上げるあたり、共通点は多いように思う。

特に「Night Games」のハマり具合は相当なもので、知らずに聴けば間違いなく秀樹さんの持ち歌だと思うだろう。

グラハム・ボネットは秀樹さんより8歳年上。

力量のある先輩に追いつき追い越そうという、挑戦心があったのではないだろうか。

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以下、4曲ずらっと聴き比べを並べておく。
どちらもできるだけライブ音源にした。

 

 

 

 

 

 


アルカトラス時代のグラハム・ボネットが来日した1984年、某FM雑誌で秀樹さんとの対談が実現した。

その場に立ち会っていた音楽評論家の大野祥之さんが、そのときの様子をブログに綴っている。

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「ボクの曲を歌ってくれて、どうもありがとう」
「いえ、とても好きな曲だったんで、うれしかったですよ」
「キミは何歳なの?」
「えっと、いま27歳です」
「そうか、若いね、まだ」

 ね、こんな感じの会話で余裕しゃくしゃく。そんなオトナのグラハムさんが一転してダダッコになってしまったのは、こんな会話の流れからだった。

「ところで、キミはどういうところでライヴをやっているの?」
「東京では、後楽園球場(いまの東京ドーム)なんかで、ヘリコプターからステージに降りてくるっていう演出をしたり……」
「へ?」

 グラハムさん、ソファに座り直して、体を前に乗り出した。
“あ、グラハムさんに西城秀樹が日本でいちにを争う売れっ子のアイドルだっていうことを、伝えてなかったかなぁ? いや、ちゃんとそのことは伝えたし、カセット・テープ(当時はまだCDもMDもなかった)で西城さんの音も渡したぞ。ちゃんと聴くって言っていたけどなぁ”と、ボクもちょっと不安。

 グラハムの横に座っていたアルカトラスのマネージャーも身を乗り出してきた。
「よかったら、次のシングルでまたグラハムの曲を使ってくださいよ」
「いや、キミのためなら、新曲を書き下ろしてもいいよ。ぜひ歌ってもらいたいからねー。ところで、次のライヴはいつなの?」とグラハム。
「あさってです」
「じゃあ、ぜひ見に行くよ。どこでやるの?」
「宇都宮です」

 で、グラハムさんはダダッコに変身してしまったというわけ。
 さすがに、対談が進まなくなってしまったので、ライヴを見に行くか行かないかっていう話は、対談が終わってからということにして先を進めたけれど、もう絶対に宇都宮に行くつもりになっていたグラハムさんをなだめるのには、ひと苦労。どっちみちボクの都合がつかなかったので、グラハムさんはようやく断念してくれたけれど、うわごとのように、ずっと「ウツノゥミヤ、ウツノミヤ」とつぶやいている姿は、まさにデッカイお子ちゃまだった。

 

 asachanさんが画像を上げておられる、この記事の対談のようだ。

 

 大野祥之さんのブログ記事はこちら

 

#この項おわり

 

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