山下達郎サンデーソングブック 2024年12月29日放送「年忘れ夫婦放談 Part2」より、まりやさんのコメントを書き起こしたものです。※青字部分は山下達郎氏
中山美穂さんは、「色・ホワイトブレンド」を、私が86年の春の化粧品キャンペーンソングとして提供した時に、初めてお会いしたんですけど。
その時、確か本当に高校生、15、6だったと思うんですけど、なんかすごく大人っぽくて、しっとりと落ち着いてらっしゃる、アイドルっていう感じよりは、なんか何て言うのか、女優さん的な感じの佇まいがあって。
で、「色・ホワイトブレンド」の中に英語のフレーズとかがあるので、それの発音指導したり、一緒にレコーディングして、すごく和やかに過ごしたのを覚えてるんですけど、今思うと、あれが15、6歳だったっていう。
そんな若い感じには思えない。なんか落ち着いた方だった。
達郎氏:アイドルはみんな、そんなものですよ。
うん、そうかな。でもなんか、特に彼女は落ち着いてて。
私が80年に、「不思議なピーチパイ」を資生堂のキャンペーンで歌手として歌って、初めてヒットが出たんですけど、その6年後に今度は作曲家として歌手の方に春のキャンペーンソングを提供するっていう立場に立てたことが、なんかすごく光栄で、それを歌ってくださったっていうことで、すごくいい思い出が残ってて。
特に、その後、またさらに10年ぐらい後だったかな。12年ぐらい後?
達郎氏:12年
98年に「眠れる森」っていうドラマ、木村拓哉さんとのコンビでのドラマの主題歌「カムフラージュ」を歌わせていただいたので。
その時もみんなで最後に打ち上げの時に、美穂さんと拓哉君とみんなで集まって、舞台の上にみんなで立って、この「カムフラージュ」をみんなで合唱というか、みんなで歌った思い出があって、その時もね、なんかすごくしっとりしてた、落ち着いた人だなっていう風に思ってたんだけど。
覚えてる?
7、8年前に、達郎の、あれは中野サンプラザのコンサートに、もう本当に10何年ぶりぐらいに美穂さんが来られて。
お久しぶりっ!て言って。
で、達郎のライブをご覧になって、それで後で楽屋に来られた時に「また私、歌を歌うんですよ」みたいなことをおっしゃってて、「ああ、じゃあぜひ歌ってね」って言って。
達郎に「曲を書いてくださいませんか?」って、なんか冗談交じりだったけど、言われてたのを思い出しました。
覚えてる?
達郎氏:彼女のマネージャーと僕すごく仲良かったんでね。
そうだったね。
だからまた今回、こんな突然いなくなるなんて思いもしなかったし、特にライブを控えてらしたっていうことを聞いたので、なんか胸がすごく痛くなりました。
達郎氏:そういう意味では、80年代、90年代、ずっとそういう相互交流っていうか、アイドルに作家が提供して、今度は作家がそれをまた再循環させるという、そういうようなものがありましたね。
特に私は、この「眠れる森」、「カムフラージュ」で初めての1位をいただいたので、なんか思い出深い曲ですし、彼女によって、ドラマがヒットしたっていうこともすごく感謝してます。
この場をお借りして彼女のご冥福を心からお祈り申し上げます。