おとのほそみち

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山下達郎サンデーソングブック 2020年07月05日「ジャニー喜多川さん一周忌 初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画」書き起こし 1/3

オンエアされた曲に関する達郎氏のコメントを書き起こしています(一部要約あり)。インフォメーションやリスナーからのメッセージは割愛しています。張っている音源はオンエアされたものとは異なる場合が多々あります。
2020年07月05日放送分のうち前半1/3をこのページに掲載しています。

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1. リトル・ホンダ / ザ・ジャニーズ '64 (本ページ掲載)
2. AUTUMN AFTERNOON / THE JOHNNYS '66(本ページ掲載)
3. AUTUMN AFTERNOON / TEDDY NEELEY '67(本ページ掲載)
4. AUTUMN AFTERNOON / THE ASSOCIATION '11('67)(本ページ掲載)

5. NEVER MY LOVE / THE JOHNNYS '66
6. NEVER MY LOVE / THE ASSOCIATION '67
7. I REMEMBER / THE JOHNNYS '67('66)
8. NOTHING SACRED / THE JOHNNYS '67('66)

9. THE VISIT / THE JOHNNYS '66
10. THE VISIT (SHE WAS HERE) / THE CYRKLE "NEON" '67
11. バットマン / ザ・ジャニーズ '66

 

7月入りましてですね、今週7月9日なんですが、ジャニー喜多川さんの一周忌になります。
ジャニーさんが一番最初にジャニーズ事務所スタートされたのが1962年で、4人組のジャニーズというですね。
初代ジャニーズと、我々は言いますけれども。
初代ジャニーズの結成でジャニーズ事務所が設立されて、私その当時、その初代ジャニーズが好きで、よく聞いておりまして。
1966年にジャニーズがアメリカへ行きましてですね、ダンスのレッスン、ミュージカルの鑑賞とか、そういうの目的であったんですけども、レコーディングをする機会に恵まれまして何曲か作品を録って来たんです。
けれど、なぜなのか日本では発売するチャンスがありませんで、その後、マスターが紛失したり、いろんなことがありまして、現存するマスターがありません。
大変残念なことなんですけども。

でも、その中の曲がですね、後に他の人にカバーされて大ヒットしたりですね、そういうような枝葉が分かれまして。
そうしたジャニーズですね、その当時のレコーディングの歴史というものを一度ですね特集してみたいと、ずっと前から思ってて。
色々と音源を集めたりですね、そのカバーの作品をいろいろと検証したりですね、資料を調べたり、ずーっとやって参りまして。
ちょうどジャニーさんの一周忌ですので、いよいよその機会が来たと考えまして、今日はですね、そのジャニーズのレコーディングした現存する音源を中心に、そのジャニーズのレコーディングの作品を、是非とも皆さんにお聴きを頂こうと思います。
『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』という、なんか学術論文みたいなタイトルでお送りします。
非常にデータが錯綜しております。諸説もありますので。
私の知識と検索能力ですと、ちょっと力量不足なところもあるんですけども、でも音楽番組ですので、その音源についてのお話はできますので。
そういう意味では、日本でおそらく初めて電波にのる音もあると思います。
ジャニーズの一番最初の、初代ジャニーズの果敢な洋楽に対するアプローチを、少しでもですね、お聴き頂ければと思います。
山下達郎サンデーソングブック『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』

本日はですね、選曲は自信がございますけれども、サンデーソングブックらしい選曲でございますけれども、音質はですね、今日は本当に、ものすごく音の悪い(笑)ところからですね、音質補正して最大限の努力してやっておりますので。最高の音質でありませんけれど、最高の音楽がお聞きいただけます。

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 リトル・ホンダ / ザ・ジャニーズ


ジャニーズ リトル・ホンダ 1965 / Little Honda


ジャニーズの一番最初のグループ、4人組ですけれども。
あおい輝彦さん、飯野おさみさん、真家ひろみさん、中谷良さん。
この4人の初代ジャニーズの、洋楽アプローチとアメリカ進出計画と題しましてですね、ジャニーズの海外レコーディングの音源をですねお気をいただきつつ、そこの枝葉をですね色々とご説明したいと思います。

ジャニーズが結成されましたのは1962年ですけれども、ジャニー喜多川さんは、アメリカでお生まれになりまして、朝鮮戦争の時に日本へやって参りました。
今の代々木公園と NHKのある場所にありましたワシントンハイツという、旧陸軍のですね場所ですけれども。
そこで、子供たちを集めて野球チームを作っておりまして、そこから選ばれた4人がですね「ウエスト・サイド・ストーリー」を観に行って、それに感化されまして。
そういうの自分たちもやりたいって。
その4人のマネージャーとなりまして、ジャニーズ事務所を設立して、活動を始めたのがジャニーズで一番最初でございます。
その当時はですね、歌いながら踊る若い子というのは、そんなにいませんで。
ダンサーはダンサー、歌手は歌手という、そういうものだったんですけども。
それが、両方やるという、アメリカンスタイルですけれどもで、それの一番最初のアプローチでありました。
当時の、いわゆる歌謡曲、御三家なんて言われましたけど
橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さん。
そういうような、いわゆる既成の歌謡曲ではなくて洋楽アプローチという和訳ポップスですね、和製ポップスなんていいますけども。
そういうようなものを中心に、最初は活動をしておりました。

今、お聴きをいただきましたのは、ビーチ・ボーイズの「リトルホンダ」
アメリカでは64年に、ホンデルズのヒット曲としてベスト10になりました。
ホンデルズがヒットしましたので、本田技研工業がですね、プロモーション用のソノシートを作りまして、「リトルホンダ」のですね。
ソノシートというのが、1曲目がビーチボーイズの「リトルホンダ」で、2曲目が今お聴きいただきましたジャニーズの日本語歌詞の「リトルホンダ」
作詞:安井かずみ、作曲 :ライアン・ウィルソン、演奏:寺内タケシとブルージーンズ
というやつでございますけれども。
「リトル・ホンダ」のブックレットに、これが挟まれまして。
裏面の解説は、高崎一郎さんがですね書かれた、64年の販促物でございます。
前にも1回サンデーソングブックで、かけたことがございます。
こういうようなのが、ジャニーズの活動ですけれども、64年にレコードデビューをします。
「若い涙」という、これがデビュー曲ですけれども。
本当はですね、邦楽作品も紹介するべきなんですけれど、時間がとてもありませんのと、あと、作品がほとんどCD化されてないです。
そうした芸能の裏面史という、そういうものにはですね、あんまり興味ないので。
CD出荷して欲しいんですけどね、名曲たくさんあるんですけど。
のちほど申し上げますが。

まずは、この「リトル・ホンダ」で始めました。
テレビのバラエティショーの時代でしたので、テレビのバラエティショーにたくさん出まして、だんだん人気が出てきました。
1965年に紅白に出ます。
「マック・ザ・ナイフ」を歌いますけれども、その時に、私の母親と父親が言ったセリフがをすごく覚えてんですけどね
「なんだ、こんな若造が「マック・ザ・ナイフ」歌うのか」
という。
それが当時の、我々の父母の世代のですね、40ぐらいの人たちの意見だったんです。
でも、彼らは何を聴いたか。
うちの父母は、ルイ・アームストロングを聴いたのか、ディーン・マーチン、サミー・デイビスかな、そんな感じがしますが。それちょっと余談ですけれども。


で、66年に、勉強のために渡米をするという。
アメリカへ行って、ダンスのレッスンとそれからミュージカルの鑑賞、そういうようなことを、するんですけども。
偶然にも、レコード・プロデューサーでありますレーベル、ヴァリアントのオーナーでありましたバリー・デヴォーゾン。
これ、私の番組のリスナーの方でしたら、お馴染みでございますけれども。
日本でバリー・デヴォーゾンつったら「コマネチのテーマ」ね。ナディアの。
バリー・デヴォーゾンとペリー・ボトキン・ジュニア、レンジャーですが。
後は「S.W.A.T」、リズム・ヘリティジ、あれの作曲とか。
バリー・デヴォーゾンはとにかく、ヴァリアントそのままワーナーに売却されますので。
宮治淳一さんの「ロック・ナゲッツ」にたくさん入っております。
宮地さんが来た時に、また面白い話をお聞きをいただきますけども。
ちょっと話が長くなってすいません。
そんなわけで1966年の8月に渡米しまして、レコーディングの機会に恵まれまして、レコーディングすることになります。
全部で16曲と言われておりますけれども、現存する曲は9曲であります。
今日はそのうちの5曲ほど、お聴きいただきたいと思います。
全て1966年、アメリカはロサンゼルスでのレコーディングであります。
まずは「オータム・アフタヌーン」という曲を、お聴きをいただきましょう。
先ほども申し上げましたけども、音悪いです。すいません。それはご勘弁ください。歴史的な録音ですので。

AUTUMN AFTERNOON / THE JOHNNYS (音源なし)

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初代ジャニーズ1966年の 「AUTUMN AFTERNOON」
いい曲です。
曲を作っておりますのはアドリシ・ブラザーズ
ドン・アドリシ&ディック・アドリシ、名曲たくさんございますけども。
ヴァリアントに特にたくさん残しております。
一番有名なのは、ご存知「ネバー・マイラブ」でございます。
この「AUTUMN AFTERNOON」、ジャニーズのバージョンが発売されませんでしたので、後に曲がですね、売られまして、他の人がやっているバージョンが出ました。
テディ・ニーリーという、俳優、シンガーでございますが。
一番有名なのが「ジーザス・クライス・スーパースター」の映画の主演でございます。
この人の1967年、翌年に出ました「AUTUMN AFTERNOON」
これはプロデュースしているのが、スティーブ・ダグラス。
アレンジしているのが、ペリー・ボトキン・ジュニア。
バリー・デヴォーゾンのパートナーですね。
で、スコアが同じですけど、演奏は違うような気がします。
イントロからボワ~ッとドラムに入るところとかは、アレンジが同じですけれども、楽器が若干違う感じがします。
翌年のテディ・ニーリー「オータム・アフタヌーン」を頂きましょう

AUTUMN AFTERNOON / TEDDY NEELEY


Teddy Neeley Five - Autumn Afternoon


お聴きをいただければわかりますが、アレンジがほぼ同じです。
ですので、ジャニーズのバージョンもですね、ひっとしたらペリー・ボトキンがやってるのかもしれません。
スコア書いてるかもしれませんが、資料が全くございません(笑)
作曲者だけはっきりしております。
実はですね、1967年にアソシエーションもこの曲レコーディングしてるということがですね、2011年に出ました アソシエーションのアルバムのボーナストラックに、これが収録されていて。
アドリシ・ブラザースのコメントが載ってることで判明しましてですね。
これも一節をいただきましょうアソシエーション。

 AUTUMN AFTERNOON / THE ASSOCIATION


The Association "Autumn Afternoon"

アソシエーションのアンリリースでありました「AUTUMN AFTERNOON」

これ、リマスタリングされたアルバムが出たときにサンソンでかけました。

 

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bakoji.hatenablog.com