おとのほそみち

行きかふ歌も又旅人也

NHK-FM「ディスカバー・マイケル」書き起こし 『マイケルの心を揺さぶった先人たち~吉岡正晴氏に聞く』

 

NHK‐FMで毎週日曜日に放送している「ディスカバー・マイケル」は、マイケル・ジャクソンのヒット曲はもちろん、様々なエピソードを隅から隅まで1年かけて紹介するというコンセプトの番組。
特定のアーティストを1年がかりでというのは、ちょっと記憶にないボリュームだけれど、マイケルならばそれも可能。
そして、MCが日本人きってのマイケル研究家・西寺郷太氏ということもあって、毎回興味深く聞いている。

 

8月11日の「夏休みスペシャル MJサークル 第1回」には、ベテランの音楽評論家にして、R&Bにはめっぽう詳しい吉岡正晴さんがゲストに登場。
「マイケルの心を揺さぶった先人たち」と題して、選曲と解説をなさった。
資料価値のある内容だと思うので、ここに書き起こしておく。

誤記もあろうかと思いますが、ご寛容に。
ネットに音源があるものは貼り付けておきますが、オンエアされた音源と同じとは限りません。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

西寺:僕が知っている吉岡さんが好きなアーティストはアレサだったりジェームス・ブラウンだったり。それよりマイケルは世代が若いじゃないですか。その中でマイケルはやはり特別な存在でしたか。
吉岡:そうですね。僕はやはり「オフ・ザ・ウォール」がすごく好きだったんですよ。その前の「シェイク・ユア・ボディ」あたりから、ジャクソンズが蘇ってるなという感覚をすごく持っていて、「オフ・ザ・ウォール」が出た時に、日本では最初はディスコですごくかかっていたんです。ディスコのDJ達はあのアルバムをほんとオールカットでかけていて僕もかけていて、お客さんが熱狂的に踊っていたもんで、マイケル・ジャクソンはこれで完璧に新しいスターになったなあという感じを持っていたんですね。ところが日本ではディスコでは大ブレイクしたんだけれども、一般的にはそれほどでもなかったんですよ。ラジオでもあまりかからないし、まだMTV以前の話ですからね。
西寺:そうですよね。
吉岡:レコード会社が80年代に入ってから、だから半年ぐらい経ってから、すごく珍しいんですけれども「オフ・ザ・ウォール」を再プロモーションしたんです。
西寺:アメリカであれだけ人気があるんだからと。
吉岡:そうそう。アメリカであれだけ人気があって大ヒットしていて、アルバムもずっと売れ続けているから、日本でももう一回ちゃんとプロモーションしようって言って、当時のディレクターの吉川さんがいろいろ動いて、それで若干持ち上がった感じはありますよね。
西寺:まあ「オフ・ザ・ウォール」は長く売れてましたしね。今月は夏休みスペシャルMJサークルと題しまして。 MJ サークル、みんなでぐるっと回ってサークルというのは、番組タイトルの一つの案としてもあがってたくらいなんです。マイケルをめぐって一年間いろんなものを追いかけていくという。ここでMJサークルというタイトルが蘇ったんですよ。マイケル・ジャクソンをとりまく人々を特集していくんですが、今週は僕にとっても吉岡さんは師匠なんですけれども、マイケルの心を揺さぶった先人たちというテーマで、吉岡さんにマイケルにとっての師匠と言いますか憧れてたと言いますか、そういう人たちを特集してもらおうかなと。
まずは最初にどなたを。
吉岡:最初に選んだのはナット・キング・コールの「モナ・リザ」です。1950年のヒット曲です。
西寺:マイケルが生まれる8年前ですね。
吉岡:そうですね。ナット・キング・コールがどういう状況かと言いますと、彼は1919年に生まれています。そして1965年になくなるんですが、1940年代からヒットを出して50年代から60年代にかけて、すごくヒットを出すんですね。
黒人としては初めて全米のテレビでレギュラー番組を持つということで、ある意味で黒人初のスター。ナット・キング・コールがテレビでレギュラーをやったということで、本当に全米の人たち、マイケルのみならず普通の黒人たち、そして白人たちに大きな影響を与えたシンガーの一人だと思います。
マイケルはこのナット・キング・コールだけではなくて、たくさんのシンガー、ミュージシャン、作曲家、たとえばそれはジャンルを問わず、今日はポップなところにフォーカスをしますが、クラシックの影響もある。
西寺:そうですね。ドビュッシーとか。
吉岡:それからブルーズ。お父さんがブルースが大好きで家の中には流れていたでしょう。それからお母さんがカントリーが好きだったと。
西寺:そうですよね。
吉岡:そうすると、カントリー、ブルース、クラシック、普通のR&B、ポップ。つまり全ジャンルを聞いてたということになるんですね。
それが結局、1990年代2000年代にかけて、彼が自分で好きな音楽を作るようになって、そうした子ども時代の影響というのがじわじわ後半になって出てきてる感じがしますよね。
そんな中で当時一番人気だった人といえばナット・キング・コールだったんで、これの影響を受けない黒人シンガーというのは多分いないと思うんです。もちろんマーヴィン・ゲイも大ファンでした。ナット・キング・コールは65年に亡くなるから、58年生まれのマイケルが7歳ぐらいの時に亡くなってしまいますけれども、とはいえレコードはその後もずっと聴けるので、歌いまわしというか、すごく綺麗で滑らかな歌い方というのが、マイケルがバラードを歌う時にすごく感じられる時があるんですよ。で、これを選んでみました。ナット・キング・コール「モナ・リザ」


西寺:いやーやはり素晴らしいですね。
吉岡:素晴らしいですね。
西寺:さっきおっしゃっていたみたいに、例えば「チャイルドフッド」とか「スピーチレス」とか、マイケルはミュージカル音楽も好きだったのですけれども、そういうストリングスの感じとか、ある種の映画音楽と言うか。
吉岡:そうですね「ベン」とかもこの流れにあるんじゃないかと。マイケルが色んなシンガーの影響を受けている、それは間違いないんですけれども、ナット・キング・コールは当時の50年代から60年代にかけて一番最初にスターになったブラックシンガーということで、本当に誰でも知っていると。当時のマイケルですよね、ナット・キング・コールが。
西寺:キング・オブ・ナット・キング・コール(笑)
吉岡:(笑)そんな感じです。レコードを聞いて影響を受けないわけがないと思うんですよ。当時の時代感と言うか空気感と言うか。それはやはりマイケルのバラードをじっくり聴いていると、ナット・キング・コールがいるなあと。
西寺:今聴いても、音がむちゃくちゃいいですよね。
吉岡:歌のうまさと、オーケストレーションとか、1950年代にしては本当にリッチにできているんですよ。たぶんキャピトルレコードの一番大きなスタジオ、 Aスタジオかな、その有名なスタジオで、全部ほぼ同時に録音されたわけで。後にナタリー・コールが同じスタジオであの「アンフォーゲッタブル」を録るという。
西寺:娘のね。僕はどちらかというと「アンフォーゲッタブル」の世代なので。
ではもう2曲紹介していただきたいのですが、このアーティストもマイケルは絶対言いますもんね、スピーチとかの時に。
吉岡:そうですね。最初に紹介するのがジャッキー・ウィルソンというシンガーです。この人はデトロイトの50年代から60年代にかけてのスーパースターです。
彼はテレビにはあまり出てなかったんです。今動画サイトとかで見ると古いモノクロの映像が出てきますけれども、ナット・キング・コールが自分でレギュラー番組をもったほどではなかったんですが、デトロイト周辺、そして全米ツアーをしていたので全米のブラックの人達には圧倒的な人気があったんです。
何が一番すごかったかと言うと、彼は歌がうまいけれど踊りも凄かった。電撃的な踊りで、すごく激しく踊る。言ってみればエルヴィスのように踊るんです。エルビスより前なんですけどね、ジャッキーの方が。歌と踊りで本当にブラック界のアイドルだったわけです。歌って踊れるという意味では、50年代60年代のマイケル・ジャクソンだと。キング・オブR&Bだったわけです。
西寺:マイケルは何かの賞をとったりすると、必ずスピーチでジャッキー・ウィルソンに感謝するみたいな、絶対リスペクトして言ってましたもんね。
吉岡:そうですね。彼は1934年に生まれて1984年に何と49歳という若さで亡くなるんです。1月21日に亡くなるんですが、その年のグラミーかなんかで、ちゃんとメンションしてるんですよね。ジャッキー・ウィルソンが亡くなって、これをトリビュートしたいと。
しかもジャッキー・ウィルソンはデトロイト出身で、一番最初に放ったヒット曲をベリー・ゴーディが書いている。ということはベリー・ゴーディの路線でもジャッキー・ウィルソンは繋がっていて、ベリー・ゴーディのファミリー、ある意味サークルにいて、ジャッキー・ウィルソンのライブもデトロイトなんかで何度も見ていたんだと思うんです。ライブを見ればあの踊り、ジェームズ・ブラウンばりの踊り、それとあの激しい歌、そういうのにものすごく影響を受けたと思います。
もう一曲はテンプテーションズの「マイガール」。
これはジャクソン5時代にはジャーメインが歌って、ライブで大変な評価を受けていたと。
西寺:コンテストとかでね。
吉岡:テンプテーションズはモータウンで一番のボーカルグループですよね、一番人気の。もう一つスモーキー・ロビンソンとミラクルズというグループとこのテンプテーションズが、いわば東の横綱と西の横綱。
西寺:ちょっと遅れてフォー・トップスみたいな。
吉岡:そうですね、フォー・トップスはデトロイトなんですけれども、この二つがメインストリームだとすると外様的な感じなんですよ。他のレコード会社で実績を作ってモータウンに移籍してきたと。
西寺:アイズレーも移籍組ですよね。
吉岡:そうそう。そういう意味で生え抜きではない。
西寺:ミラクルズはスモーキー・ロビンソンは副社長でもあるし、アイディアも出して曲も書いてという相棒で。
吉岡:スモーキーはファミリー中のファミリー。テンプスもファミリー中のファミリーだけれどもフォー・トップスはちょっと横から来た。グラディスもそうなんです。
西寺:グラディス・ナイトもそうですね。
吉岡:モータウンの中では外様的に扱われて、ちょっと冷や飯を食わされていた。
西寺:ダイアナ・ロスがメインでですからね、シュープリームスの。
吉岡:そうそう。テンプテーションズはモータウンの中でも最も売れたグループで、しかも5人組。ジャクソン5と同じ。テンプテーションズは兄妹ではありませんけれどもメンバーがそれぞれキャラクターが立っている。その中でもこのころリードシンガーだったデヴィッド・ラフィンというのは、シャウト系の熱いソウルを歌う感じで。
西寺:ちょっとしわがれた声で。
吉岡:これはジャッキー・ウィルソンの流れから、男っぽいガツンと行くと言う当時一番流行りだったR&Bシンガーのスタイル、それを一番継承しているボーカルグループのリードシンガーだったんですね。そういう意味で言うとスモーキー・ロビンソンというのはちょっと違うつながりなんですね。
西寺:優しい声で。
吉岡:そういう意味でいうと、テンプテーションズのデヴィッド・ラフィンというのは、当時のR&Bのガツンと歌う熱いシンガーのトップの人気だったんです。
西寺:スモーキー・ロビンソンとエディ・ケンドリックス、テンプテーションズのもう一人のリードボーカリストはどちらかと言うとナードと言うかメロウな歌声じゃないですか。マイケル・ジャクソンのデビュー当時というのは、どちらかと言うとデヴィッド・ラフィンとかジャッキー・ウィルソン路線なんでしょうね。本来の彼の声質とか大人になってからは、エディ・ケンドリックスとかスモーキー・ロビンソンに近くなっていって。
吉岡:そうそう。
西寺:「オフ・ザ・ウォール」ではメロウなファルセットとか、最終的にはミックスされるんですけど、そう思うと結構面白いですね。最初はパワフルな感じでソウルシンガー!という感じで歌ってた感じがします。
吉岡:「アイ・ウォンチュー・バック」にしてもガツンという感じ。多分ベリー・ゴーディ自体が、それからその当時の時代の流れからして、みんなそういうのを求めていたと思うんです。迫力のあるシンガーをマイケルにも求めるし、69年70年ごろのR&Bの男性シンガーと言うとこういうもんだという一つのステレオタイプであって、それの1番のプロトタイプがジャッキー・ウィルソンでありデヴィッド・ラフィンだったと。
では2曲続けて聴いて下さい。ジャッキー・ウィルソン「ベイビー・ワークアウト」そしてテンプテーションズ「マイガール」

 

西寺:それではマイケル・ジャクソンに影響を与えたアーティストの曲を、もう2曲紹介してください。
吉岡:最初はフランク・シナトラ「イット・ワズ・ア・ベリー・グッド・イヤー」、それからジェームス・ブラウン「アイ・ゴット・ザ・フィーリン」
フランク・シナトラの方はいわゆるバラード的な、この曲はマイケル自身もカバーしていてその映像も残っています。
そしてマイケルのダンスに一番影響を与えたジェームス・ブラウン。この二人は絶対に外せません 。

吉岡:フランク・シナトラは、マイケル・ジャクソンの特にバラードで、一般的に言う白人ウケをするような歌唱法みたいなものを引き受けてると言うか引き継いでいると言うか。一方でフランク・シナトラはイタリア系のものすごく歌が上手いシンガーでしたけど、イタリア系というのはアメリカでは黒人と同じようにマイノリティでもあった。そういう意味でいうとイタリア系のシンガーがハリウッドや全米で受けるということに関して、抑圧された人たちが上に上がっていくという意味では、肌の色は違うんだけれどもマイノリティとしての黒人として、凄く共感を得るところもあったんじゃないかなという気がします。
西寺:「スムーズクリミナル」なんかもそうですけど、マフィア映画とかギャングの世界観みたいな、ああいうものもよくやってますし、そういう意味ではシナトラの、マーロン・ブランドとかゴッドファーザー的な空気感みたいなものが好きだったのかなという気がします。
ジェームス・ブラウンはもう一聴すれば。オーディションでも歌ってますしね。
吉岡:マイケル・ジャクソンに一人だけアイドルを選んでみてよと言うと、ジェームス・ブラウンだと思います。
西寺:そうでしょうね
吉岡:1968年、マイケルが10歳ぐらいの時に、自分が何になりたいかと言われたら「ジェームス・ブラウンになりたい」と思うぐらいの憧れのスーパースターだったと思います。
それは歌もそうだし リズム感の良さ、それから踊り。たぶん踊りに一番影響を受けたんじゃないかな。例えば股割りでバーンと見せるとか、マイクの使い方、ステージとしての全体的なエンターテインメントとしての見せ方。多分生で彼は舞台の袖とかで見ていて、ジェームス・ブラウンはすごい!という感じで本当に憧れていたと思います。それは歌い方にも後々に出てくるし、自分のライブパフォーマンスもジェームス・ブラウンの影響を100%受けてると言ってもいい。

 西寺:そうですね。ではもう一人のモータウンの先輩を紹介していただきたいのですが。
吉岡:マーヴィン・ゲイです。マーヴィン・ゲイはモータウンで先駆的なシンガーソングライターで、スティービー・ワンダーもいますけれども。
西寺:自分でドラムもやってピアノもやって。
吉岡:マーヴィン・ゲイは1971年に「ホワッツ・ゴーイン・オン」というアルバムを出しますけれども、これがブラックミュージックの歴史の転換になりますよね。それで当時は同じレーベルメイトだったと。マイケルは12歳か13歳ぐらいでしたが。
自分たちがレコードを作る最初はシングルを録音していましたけれども、だんだんアルバムを作るようになってくる。それが後にエピックに移籍してからアルバム自体を自分たちできっちり作るようになってきた時に、アルバム1枚作ることの重要性、どうやってコンセプトをつくるか、タイトルをどうするかというのは、マーヴィン・ゲイはすぐ近くにいた大先輩でもあるので、影響をすごく受けた感じがしますよね。
マーヴィン・ゲイはたくさんヒット曲がありますけれども「アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプバイン(悲しいうわさ)」

西寺:マイケルに勝るとも劣らないと言うか、マーヴィン・ゲイという人の天才性はいつも感じているんですけれども。
吉岡:マーヴィン・ゲイは天才的なところとアーティスト的な不安定なところ。人間的にはダメなんだけれども、閃いたりするとすごいモノを生み出すという。
友達になるのはすごく難しいけれども、ちょっと離れたところから見ているとすごいなという感じがします。
西寺:マーヴィン・ゲイの「離婚伝説」というアルバムがありますけれども、当時僕は子供だったんであれですけども、駄作だとか失敗作だとか言われたりもしてましたけども、マイケルの「ヒストリー」が出た時に「離婚伝説」みたいなアルバムだなと。
吉岡:ほほう。
西寺:その時にはもうマイケルが大好きだったんで、自分の心の奥の汚れた部分とか悲しみとかをデコレートしないでそのままぶつけたあのアルバムをつくったときに、「ヒストリー」は1枚目はベストでしたけれども、マイケルの「離婚伝説」だと思って。「アンガー」という曲とかマーヴィンにありますけど、マーヴィン・ゲイのチルドレンと言うか影響はあるなぁと思ったんです。
吉岡:なるほどね。「離婚伝説」というアルバムは、本当に当時は皆にボロクソに言われたんですよ。僕も最初に聞いた時は「なんだこのアルバムは?」と思ったくらいなんです。その時は聞き流した感じなんだけれども、唯一あれを評価したのが、デイヴィッド・リッツという作家の人だったんです。
彼は、このアルバムはマーヴィンの私小説として最高傑作だというくらいのことをロサンゼルス・タイムズに書くんです。それを読んだマーヴィンがデイヴィッド・リッツという人に会いたいと言って、自伝を書くことになるんです。
西寺:共作もしますよね。
吉岡:そうです。「セクシャル・ヒーリング」を作っている時に、デイヴィッド・リッツ一と緒にいた時に曲が出来上がるんだけれども、その時に彼がそういう風に言ったのが曲になっていくという。彼はジャーナリストだったのでカセットテープにとっていたんですね。一時期デイヴィッド・リッツのクレジットはなかったんだけれども、そのテープが証拠になって今に至っている。
西寺:この「ディスカバー・マイケル」という番組はスティービー・ワンダーはばんばん出てくるんだけれども、ここでマーヴィン・ゲイを出して頂いたことでモータウンの中での二大先輩と言いますか、マイケルが独立する時の本当のお手本になった二人が、紹介いただけた。
吉岡:モータウン時代に、ホーランド=ドジャー=ホーランド、スモーキー・ロビンソン、そしてコーポレーションという最初の「アイ・ウォンチュー・バック」から何曲か作った、いわゆるチームですね。もう全社を挙げて(ジャクソン5を)売り出した。
一方でマーヴィン・ゲイはもう独立独歩のシンガーソングライターで、スティービーもそうだった。マーヴィン・ゲイは「ホワッツ・ゴーイン・オン」というアルバムをベリー・ゴーディの反対を押し切って作るわけです。それが成功して、その後も「レッツ・ゲット・イット・オン」「アイ・ウォンチュー」というコンセプトアルバムを作っていく。そのアルバムの作り方というのは、マイケルのみならず全世界のブラックミュージシャンに大きな影響を与えたと思うんです。
西寺:ベリーの反対を押し切って世界的な名作になったというところを、マイケルはその後、追いかけていったと思うんです。では最後に、マイケルが亡くなって10年ということで。
吉岡:あっというまですね。
西寺:吉岡さんが思うところを曲を選んでいただいて。
吉岡:選んだのはマイケル・ジャクソンの「スマイル」です。これは1995年の「ヒストリー」に入っています。これを最初に聞いた時に、もう24年前ですけれども、これはディスク2の一番最後に入っているんですよね。これを最後に持ってきたというのは凄いなあと思って。
多分マイケルは、今日最初にかけたナット・キング・コールのバージョンを一番参考にしたと思うんですよ。
チャーリー・チャップリンが1936年に作った映画「モダンタイムス」に、最初はインストで収録した。それが20年後ぐらいに歌詞がつけられて、その後ジュディ・ガーランドが歌ったりナット・キング・コールが歌ったりして、いわゆるスタンダードになっていく。
この曲、この歌詞が持つメッセージというのが、本当にあの時点での、1995年の落ち込んでいる世界に光を当てている。明日は明るいんだ、笑っていけば希望はあるんだといったことを、「ヒストリー」の最後に入れたことが、今となってはマイケル・ジャクソンの遺言として素晴らしいものがあったという感じがします。

西寺:わかりました。吉岡さん、ありがとうございました。
吉岡:ありがとうございました。

#書き起こしおわり#


ラストの「スマイル」には痺れました。マイケル・ジャクソンを軸としつつ、お話の展開はナット・キング・コールにはじまり、ナット・キング・コールで締めたという感じ。

ナット・キング・コールは今年がちょうど生誕100年。

3月に生誕100周年記念アルバム「Ultimate Nat King Cole」がリリースされた。

若い方も、これを機会に聞いてみてはどうでしょうか。

Ultimate Nat King Cole

Ultimate Nat King Cole

  • アーティスト: Nat King Cole
  • 出版社/メーカー: Capitol
  • 発売日: 2019/03/14
  • メディア: CD

 

なお、番組中のトークで出てきた「マーヴィン・ゲイの伝記」を訳しているのは、吉岡さんです。

マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs)

マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs)

  • 作者: デイヴィッド・リッツ,吉岡正晴
  • 出版社/メーカー: スペースシャワーネットワーク
  • 発売日: 2009/05/28
  • メディア: 単行本

<了>