おとのほそみち

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山下達郎サンデーソングブック2021年6月27日「寺内タケシ追悼特集」

達郎氏による曲の解説部分を書き起こしています(一部要約)
ネットに楽曲データがあるものは張り付けていますが、オンエアされた音源とは異なる場合が多々あります。
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1. スチール・ギター・ラグ / 原田実とワゴン・エース "駅馬車" '62
2. ブルー・ジーン NO.1 / 寺内タケシとブルー・ジーンズ '65
3. 津軽じょんがら節 / 寺内タケシとブルー・ジーンズ '65
4. ロッカ・バイ・ラグ / 寺内タケシとブルー・ジーンズ "baet beat BEAT!!! VOL.4" '66
5. 運命 / 寺内タケシとバニーズ '67
6. ショパンのノクターン / 寺内タケシとバニーズ "レッツ・ゴー・「運命」" '67
7. シャイン / 寺内タケシとバニーズ "世界はテリーを待っている" '67
8. 太陽の花 / 寺内タケシとバニーズ '68
9. 夜空の星 / 加山雄三 '65
10. 遺憾に存じます / 植木等 '65
11. 黒い瞳 / 寺内タケシ '69

 

先週に引き続きまして『山下達郎で棚からひとつかみ』でいこうと思っておりましたら、寺内タケシさんの訃報が飛び込んできました。
寺内タケシさん、私たちの世代はですね、ベンチャーズと並びまして、寺内さん抜きにはエレキは語れない。
戦後日本を代表するエレクトリック・インストゥルメンタルの大御所でございます。
ですので、新聞にもたくさん載っておりますし、いろんなところで曲をかけておりますけれども、せいぜい「津軽じょんがら節」か「運命」、そんなような感じでございますので。
今日はひとつ寺内タケシさんの追悼特集をしてみたいと思います。


もともと寺内タケシさんの時代は、カントリー、それからハワイアン、ロックンロール以前の時代でありましたので、そういったとことから始めましたけれども。
ロカビリーが始まって、それにのめり込んで、そのあと一挙にギター・インストにプルインしていくという、そうした寺内タケシさんのギターのヒストリー。
そういうようなものをですね、かいつまんでお伝えしたいと思います。

今日は「棚つか」ではなくて、ちゃんとした「追悼特集」でございます。
時系列に沿って、寺内タケシさんの素晴らしいプレイをお楽しみいただければと思います。


日曜日の午後のひと時、山下達郎サンデーソングブック、本日は『寺内タケシさん追悼特集』でお届けをいたします。
今日も最高の選曲と最高の音質でお届けをいたします。
かけたい曲が、たくさんございます。
1曲がすごく短いので、今日はたくさんかかります。
ですので、1曲でも多くかけたいので、今日は、頭の曲なしで、お知らせ挟んで、さっそくいってみたいと思います。

 

1939年ですから、昭和14年のお生まれでございます。
理系の学校を出た方でございます。
技術に詳しいという。
それから、お母さんが小唄と三味線の家元だったそうです。
そうした音楽的な素地はそういうところから生まれているという、ご本人の弁もございます。

冒頭にも申し上げましたみたいに、ロックンロール以前の音楽シーンから始まってますので。
戦後の米軍キャンプまわりをやる中で、カントリー・ミュージック、ハワイアン、そういったようなものをやってる中でロカビリーに出会いまして、ロカビリー・ミュージックに傾倒していきます。
ですので、どちらかというと、白人音楽、カントリー系でございますので、チェット・アトキンス、それからレス・ポール。
そうした、いわゆる超絶テクのギタリストに魅入られて、カントリー系の早弾きギターを志向していくという、そういうようなスタイルで始まりました。

原田実さんというカントリーのスチール・ギターの奏者がおられます。
その原田実とワゴン・エースというグループに参加いたしました。
1962年に出しました「駅馬車」という10インチ、25センチLPがあるんですけれど、この中で寺内タケシさん、カントリー然としたギタープレイをしていらっしゃいます。
まずは、ここからいってみましょう。
1962年原田実とワゴン・エースの「スチール・ギター・ラグ」

スチール・ギター・ラグ / 原田実とワゴン・エース



もともとは、1936年、ウェスタン・スウィングという時代の音楽であります。
後にハワイアンでもカバーがたくさん出た有名な曲でございます。
間奏のギターが寺内タケシさんのプレイであります。
初期はこうした感じで、米軍キャンプとかですね、そういうのをまわって、こうしたもので腕を磨いておりました。

 

60年代中期に自分のエレキ・インストバンド、寺内タケシとブルー・ジーンズという、我々にはたいへんおなじみのグループですが、これを結成しまして、ちょうど同時期のベンチャーズの大ブームと並行しまして、ブルージーンズ、どんどん名前が上がっていきます。
そんな中でメンバーだった加瀬邦彦さんのワイルドワンズ、それから沢田研二さんのヒット曲等で大作曲家になりますが。
加瀬邦彦さんの自作のナンバーをブルージーンズが採り上げまして。
1965年「ブルージーンNo.1」という曲なんですが。
私、この「ブルージーンNo.1」、いつもソノシートの別バージョンでかけておりますが、今日は、これがたぶんシングル・バージョンだと思われます。
リアルステレオのバージョンでお聴きをいただきます。

ブルー・ジーン NO.1 / 寺内タケシとブルー・ジーンズ

 

この時代(60年代中期)のブルージーンズ、すばらしいテクニックであります。
特に僕、ドラムやっておりましたので、工藤文雄さんという、この人のドラム大好きでありました。
すばらしいグルーヴでありました。

 

徐々に、日本で、エレキブームの中でブルージーンズ名前が上がってまいりましたけれども、寺内タケシさん、やっぱり昭和14年生まれの方なので、非常に日本の文化に対する造詣、そういうようなものが強い方でありまして。
民謡をエレキでやりたいという。
そういう作品を出しましたところ、これが大ヒットしまして。
私が中学2年の時のヒット曲でございまして、LPを買うお金がなかったので、コンパクトを買いまして一日中聴いてた思い出があります。
寺内タケシさんの名前を日本中に広めた大ヒットナンバーでございます。
1965年の「津軽じょんがら節」

津軽じょんがら節 / 寺内タケシとブルー・ジーンズ 


 

今日、何度か申し上げましたけれども、寺内タケシさんと言えば、日本ではエレキの神様とかですね、そういうような呼び方をしますけれども、そうしたエレキ・インストのムーブメントというのはですね、ロックンロールより、ちょっと前のカントリー、それからロカビリー。
そういうような、ひとつ前の歴史からですね始まってるファクターが多い音楽であります。
そこからロックンロールになりまして、リズム&ブルースが出てきまして、それで混然一体となりまして今のロックというようなもののムーブメントになります。
寺内タケシさんはひと世代前の方ですので、そうしたカントリー系の音楽、ウェスタン・スウィングとか、そういうものに、ものすごく大きな影響を受けております。
そういうのをレコードを聴きますと、随所に出てきます。
これからお聴き頂く曲もですね、1966年のレコーディングですけれども。
マール・トラヴィスという、いわゆるカントリーギターの始祖と言われるような存在の人のレパートリーを寺内タケシさんがやっています。
こういうとこ聴くと、ほんとに典型だということがわかります。
もともとは、1956年のマール・トラヴィスの作品でございました。

ロッカ・バイ・ラグ / 寺内タケシとブルー・ジーンズ

 

こうしたスタイルですけれども、先ほどの「津軽じょんがら節」みたいな日本、ジャポネスクと申しましょうか、日本文化をエレキの世界に導入したいという。
そういうところから始まりまして、どんどん広がりが出てきまして。
クラシックに着目いたしまして、1967年にクラシックをエレキ版で展開するというアルバム『レッツ・ゴー「運命」』というアルバムを出します。
ここからシングルカットされましたベートーヴェンの「運命」、5番でございますが、これがレコード大賞「編曲賞」を受賞しまして大ヒットになります。
超絶的なテクニックで、みんな唖然としたという。
今でも、します。
ブルージーンズを解散しまして「バニーズ」を作ります。寺内タケシとバニーズ。
ここから出ました大ヒット・ナンバー「運命」

運命 / 寺内タケシとバニーズ 

 

バニーズにバンドが変わりましても、グルーヴは変わりません。
ファンクなグルーヴでございます。
このバニーズのドラムの井上正さん、うまいドラムでありました。
尺八まで吹かれる、歌もうまいという、すごい方でございます。

で、この『レッツ・ゴー「運命」』というアルバム入っております、「ショパンのノクターン」
これは一人で寺内さんが弾いてらっしゃいますが、「運命」と同じようにフィンガリングの正確さとかですね、技巧の正確さ。
こちらの方は文字通りエレキですけれども、クラシカルなアプローチで攻めております。

ショパンのノクターン / 寺内タケシとバニーズ

 

 

寺内タケシさんの作品、たくさん私聴いてきたんですけど、一番好きなアルバムが1967年に出ました「世界はテリーを待っている The World is waiting for “TERRY”」
スタンダードナンバーをインストゥルメンタルにやった、ほんとに素晴らしいアルバムなんですけれども。
とりわけこの中でチェット・アトキンスのスタイルで弾いておりますこの一曲は、これも何回聴いたかわかりません。
シンプルですけれども、すばらしい演奏であります。
1967年のアルバム「世界はテリーを待っている」から「シャイン」
ベースとガットギターだけという演奏でございます。

シャイン / 寺内タケシとバニーズ

 

 

ブルージーンズはほとんどインストゥルメンタルでしたが、バニーズになりましたら、さきほどのドラマーの井上正さんのリードボーカルでですね、歌のヒット曲が何曲か出ます。
その中でも私の好きな一曲、全員でハモっ歌うヤツですけども。
パンキッシュな寺内タケシさんのリード・ギターが素晴らしい。
1968年のシングル「太陽の花」

太陽の花 / 寺内タケシとバニーズ



さっきディレクターの山岸君からですね、1938年生まれではないかという意見がありまして。
寺内タケシさんの公式HPだと1938年生まれ。
新聞のデータとかそういうものは1939年であります。
こういうのが、けっこうアレなんですよね。いろいろあるんですね。
寺内タケシさんという方はですね、私、一番近いのはジェームス・ブラウンだと思います。
なんて言いましょうか、エネルギーと言いましょうかですね、突進性と言いましょうか、そういうのが非常によく似ております。
ですので、おっしゃることが全部ほんとかという、そういうものもあります。
一種の洒落といいましょうかですね、そういうようなものを割り引いて考えなきゃいけないです。
ですので音楽で判断するという。
ですので、1939年でも38年でも、たいした変わりはない。
あとは、ブルージーンズにしろバーニーズにしろ、ディスコグラフィがほんとにきちっとした時系列に沿ったディスコグラフィってのが全然発見できないので。
ときどき違うことが書いてあったりするんですけど。
それは推測で、でも、音楽が全てなので。
そういう感じで今日はやっております。


寺内タケシとブルージーンズ、演奏力がものすごくありましたので、人のバックでも活躍しておりました。
何と言っても1965年の加山雄三さんの映画「エレキの若大将」
ここに寺内タケシさんが出演しまして腕をきかせます。
この中でも歌われまして、その後シングル「君といつまでも」のB面で大ヒットいたしました「夜空の星」。
これは編曲クレジットが寺内タケシさんと記載されておりますので、ブルージーンズがバックをやっております。
今聴くとですね、オルガン等は入っていませんが。
ひょっとしてスタジオ・ミュージシャン、プラス寺内さんという可能性も、無きにしも非ずなんですけども。
いずれにせよ編曲を担当されております。
1967年の加山雄三さんの「夜空の星」
そして同じく1965年に植木等さんの「遺憾に存じます」という、これのシングルの演奏を担っております。
植木さんが途中で”レッツゴー、ブルージーンズ!”っていう、今日は徹底的に行けという、そういうのが入っております。

夜空の星 / 加山雄三 


遺憾に存じます / 植木等 


 

今日は寺内タケシさん追悼特集でお届けしました。
心よりご冥福お祈り申し上げます。
私たちの世代には、ほんとに大きな影響を与えてくださいました。
いろいろな逸話とともに、ありますけれども。
でも今日お聴き頂ければわかるとおり、ギター・プレイのスタイルのですね幅の広さ。
有無を言わせぬ超絶テクから、すごく繊細な音作りまで、いろんなスタイルを持っております。
それが、やはりみんなに敬愛されるギタープレイヤー、表現者としての姿と言いましょうか、そういうものだと思います。
あとはギターをコンソールに直接つなぐ、いわゆるライン録りというですね、そういうレコーディングのテクニックも草分け的な存在であります。
いろいろな意味でのクリエイターでありました。
作品がたくさん残っております。
これからも聴き続けていこうと思います。
そういうわけで62年から69年までの、ほんの6、7年、怒涛の歴史でございます。
それだけ60年代の音楽シーンというのは変化が激しいということがお分かり頂けると思いますが。
寺内タケシさん追悼特集でございました。
今日の最後は1969年の、これも68年、69年ありますが、シングルの番号が69年なので69年だと思いますが。
寺内タケシとバニーズ「黒い瞳」
寺内タケシさん追悼特集 ご清聴ありがとうございました。
ロシア民謡の素晴らしいプレイ。

黒い瞳 / 寺内タケシ

 

<了>