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山下達郎サンデーソングブック 2020年07月12日「続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォー・リーブス」書き起こし 1/3

オンエアされた曲に関する達郎氏のコメントを書き起こしています(一部要約あり)。インフォメーションやリスナーからのメッセージは割愛しています。
2020年07月12日放送分のうち前半1/3をこのページに掲載しています。

 

1. THAT'S WHEN IT HAPPENS / THE JOHNNYS '66 (このページに掲載)
2. TELL HER I LOVE HER / THE JOHNNYS '66 (このページに掲載)

3. LOVE'S BREAKIN' THRU / THE JOHNNYS '66
4. YOU'RE NEAR ME / THE JOHNNYS '66
5. NEVER MY LOVE (LIVE) / あおい輝彦 "76/10/04 中野サンプラザ"

6. ちょと待て下さい / フォー・リーブス '71
7. はじめての世界で / フォー・リーブス '71
8. YOU'VE GOT WHAT IT TAKES / THE SYLVERS '73
9. DON'T LET THE SUN CATCH YOU CRYING / FOUR LEAVES '72

 

先週、ジャニー喜多川さんの一周忌でございまして『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』、長ったらしいですね、プログラムでお届けしましたが、大変ご好評いただきまして。
私が想定していたよりも、はるかに大きな反響をいただきました。
たくさんメール、お便りを頂きまして。
そもそも初代ジャニーズご存知ない若い方、それからジャニーズ聴いていた私の世代の方々、色々な方から、色々な反響を頂きました。
気を良くしております。
今週は、それの続編でございます。
『続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォーリーブス』
と題しましてですね。
先週、お届けいたしましたジャニーズの5曲は、作曲者それからレコーディングのデータ、それから例えば、その後に曲が売られてヒットした、そうした経緯ってのがはっきりしてる曲だったんですけども、今日お聴き頂きます4曲はですね、私、20数年間調べておりますけども、版権が全くはっきりいたしません。
誰が書いたかという、まず作曲クレジット。そして、これがジャニーズの録音で終わったのか他に流れたのかも一切はっきりしない4曲であります。
けれども作品的には優れておりますので。
この残りの4曲、おそらく日本で初オンエアだと思います。
というか、世界で発オンエアでございます。
史上初オンエアかと思います。
前半は、続・初代ジャニーズの1966年のレコーディングをお聴きいただき、後半はですね、その後、ジャニーズが解散した後ですね、フォーリーブスが同じトライアルをするんです。
やはり、海外でレコーディングしてレコード発売するというトライアルをしておりますので、それをお時間までお聴き頂きたいと思います。


先ほども申し上げましたみたいに、今日はそのジャニーズの1966年のロサンゼルスでのレコーディングの、残りのものをご紹介したいと思います。
この4曲は完全に作者も分からなければですね、録音した音が大変の音質の悪い状態ですけども、残っているという、戦前のサイレントムービーのような、そういうような感じです。
あくまで完パケオケではないんですね。途中の仕掛だと思われます。
完全なミックスダウン終わった程度でもございませんけれども、曲の感じはよく伝わってきますので。
今日は、その残りの4曲をお聴きいただきたいと思います。まずは短めの曲から。
「That’s When Happens」というタイトルの曲。
初代ジャニーズの1966年のレコーディングでございます。

THAT'S WHEN IT HAPPENS / THE JOHNNYS

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先週もお聴き頂きました、例えば「Never My Love」ですとかですね、ザ・サークルの「 THE VISIT」とか、そういうようなもののオリジナルバージョンとしてのジャニーズの録音に、非常に皆さん驚きを持ってですね。
特にお若い方はですね、本当にソフトロックですごいなっていう。
ジャニー喜多川さん自身はですね、多分このアプローチに、わりとこうカルチャーショックを受けたと言いましょうかですね。
すごく新しい、当時は音作りの捉え方で、今、我々もソフトロックと呼んでますけれども。
66年ですから、ベトナム戦争が激化しはじめた時に、そうした ミドル・オブ・ザ・ミュージックがすごく流行りかけていた時代の、この後に、たとえばフィフス・ディメンションの「Up, Up, and Away」とかですね、アソシエーション、いろんなもの出てきます。
そうした中のバリー・デヴォーゾンは、割とリーダーシップとってた人なので。
だけど、ジャニー喜多川さん自身はですね「ウエスト・サイド・ストーリー」が好きで、ひと世代前の方なので。
どっちかいったら、ロカビリー以前のビング・クロスビーとかフランク・シナトラとかフレッド・アステアとか、そういう人たちが、ジャニーさんにとっては憧れだったので。
最終的にはジャニーズ4人組ですけれども、あの4人のそうやって歌って踊れるボーカル・グループという形で、例えば、あわよくばラスベガスに進出するとか、そういうようなことを目論んでたんですけど。
そういう視点から見ると、こうした音楽がですね、わりともっと新しい、そういうことで、ジャニーさんに伺ってみたかったんですけど。
なかなかこう、お話を濁される(笑)
そういう感じでございますが。

お次は「TELL HER I LOVE HER」というタイトルが付けられたザ・ジャニーズのレコーディング。

TELL HER I LOVE HER / THE JOHNNYS

 

おそらく4トラック・レコーディングだと想像できますが、よくハモってます。
4トラックですから、そんなにダビングがたくさんできるわけでもありませんのでですね。
ちゃんと歌のトレーニングはされているという感じでございますが。
ジャニー喜多川さんは、どちらかと言うと、そうしたロックン・ロールより前の音楽に愛着がある方で。
エルヴィス・プレスリーの話とか、そういうロカビリー関係の話を伺ったことがありませんので。
ですのでジャニーズでしたらフォー・エイセズとかですね、白人四人組のボーカル・グループ、そういうようなものに踊りをつけたものを、ラスベガスに持っていきたいとか、そういうような計画だったんではないかと、僕は想像しますけれども。
当時の状況からすると、こうしたボーカル・グループがですね、そういうロックン・ロールの世界で生きていくというのは、まだ、それほど確証がないという時代で。
例えばフォー・シーズンズもですね、最終的にはラスベガスに行くつもりで、62、3年、4年ぐらいまでやったんですけど。
ロックン・ロールが生きながらえていったので、そっちの路線でずっと続けることが可能だったというですね。
なんたってフランキー・ヴァリという名前はですね、本名はフランチェスコ・カステルッチオっていうんですけど、お母さんが、フランクシナトラのファンなんで、フランクってつけたんですけれども。
そういうような時代ですから。
ですので、そういうような状況だという背景があります。

 

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