奥田圭子(おくだ けいこ)というアイドル歌手を記憶している人は、どれくらいいるだろう。
1984年、パイロット万年筆のイメージガールコンテストをきっかけに芸能界入り。
1985年2月に同社のCMソング『夢ください―知・的・優・遊―』でレコードデビュー。
1987年10月までに、計5枚のシングルをリリースするが、いずれもヒットには至らず、3年足らずでアイドル活動を終える。
最後のシングルとなった「Single Woman」は、詞:松本隆、曲:筒美京平、編曲:鷺巣詩郎である。
これだけのヒットメーカーが揃いながら、オリコンの100位にすら入らなかった。
その理由はひとつではなく、さまざまな要素が重なってのことだろうが、とにかく競争が激しすぎた。
俗に85年組といわれる、85年デビューの女性アイドルを見てみる。
斉藤由貴、大西結花、松本典子、芳本美代子、井森美幸、佐野量子、本田美奈子、石野陽子、中山美穂、南野陽子、森口博子、そしておニャン子クラブ。
とてつもない顔ぶれである。
松田聖子、中森明菜、小泉今日子ら先輩アイドルの人気も絶大。
その中で頭一つ抜け出すのが容易ではないことは、素人でもわかる。
彼女のその短いキャリアの中で、注目し、記憶しておきたいのは、制作陣の顔ぶれがとても珍しい曲があることだ。
1985年10月にリリースされた3枚目のシングル「プラスティック」である。
詞はおニャン子クラブをブレイクさせた秋元康。
そしてBOØWYの氷室京介が作曲を、布袋寅泰が編曲を担当し、布袋はギターも弾いている。
1985年のBOØWYといえば、大ブレイクに向けて勢いづいていた時期だが、BOØWYの知名度が高くなかった1984年時点から奥田圭子はBOØWYの大ファンであることを公言していて、それがきっかけで曲提供につながったという。
ちなみに84年当時「ボウイのファンです」というと、ほとんどの人がデヴィッド・ボウイだと思ったそうだ。
作品としてはよくまとまっている。
しかし、まとまりすぎていて、インパクトに欠ける印象も否めない。
オリコン最高位は39位。
どうせなら、もっとロックぽい方向に振り切ってもよかったのではないかと思える。
今では知る人ぞ知る作品になってしまったが、こんな顔ぶれでの作品があったことは、記憶にとどめておきたい。
<了>