おとのほそみち

行きかふ歌も又旅人也



山下達郎サンデーソングブック2022年12月29日「30th Anniversary PREMIUM LIVE」第一部

番組中の曲の解説部分、ライヴのMCを要約して記しています。

皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。山下達郎です。

いつもは、毎週日曜日午後2時にお届けしております私のプログラム「サンデーソングブック」
めでたく放送30周年を迎えることが出来ました。
それを記念しまして、これからスペシャルプログラムをお届けしたいと思います。

1992年の10月にサタデー・ソングブックとしまして土曜日に放送スタートしました。
そっから始めまして今年の10月で放送30周年を迎えることが出来ました。
それまでもラジオのレギュラー何回かやってきたんですけども、ラジオのレギュラープログラム持ってる時は「レコードが出ない」というジンクスずっとありまして。
私自身もスタッフもですね、あんまり長くやらない方がいいよ、またレコードが出ないからね、ただでさえ出ないんですから。
そんなことを言って始めたプログラムも30年経ちまして。
おかげさまでレコード、そんなに多くないけども(笑)出すことが、6,7年おきに一枚ぐらい出すことができております。
本当にリスナーの皆さんのご支援の賜物で30年続けることができました。

いつも10周年、20周年そういうときにスペシャルライブというのを企画しまして、そういうことをやってきたんですけれども。
ここの30年の間でやってきたライブ、ここ東京半蔵門の東京FMホールで、ほぼやってきましたが、予算の関係いろいろありまして、3人ライブ、アコースティック・ライブですね、アコースティック・ギター、アコースティック・ピアノ、そういうようなものでやってきたんですけども。
今年はなんつっても30周年。
いつもより大盤振る舞いでですね、ちゃんとしたリズムセクションで演奏しようという形になりました。

なんですけれども、東京FMホール狭いので(笑)。
普通のホール・ツアーでやってるメンバー全員が乗れないんですね。
そういうこともありまして、コーラス抜きでシックス・リズム、ドラム、ベース、ギター2本、キーボード2台そしてサックス。
というですね全部で7人編成で演奏することになりました。
そんなわけで、12月16日に東京FMホール、半蔵門のホールで収録されました私、山下達郎のライブ、全国からご応募頂きました中から150人の方をご紹介して行なわれました。
このライブの模様を今日はお届けしたいと思います。

まずは取っ掛かりでありますので、この30年の思い出なんかを、つらつらとですねお聴きを頂きながら、そのライブ、お聴きいただいて。
30周年の思い出話と(笑)、ライブと関連性があるわけじゃないので、ちょっとドタバタするかもしれませんけれども。
2時間ライブとそれから私のトークでお付き合いいただければと思います。
山下達郎楽天カード サンデーソングブックスペシャル始めてみたいと思います。


ラジオというメディアは、私にとってはすごく近しいメディアでありまして。
小学生の頃から、まだテレビが小学校の頃はありませんでしたのでラジオというものがメディアの中心でありました。
そこから中学に入るころから、今度は深夜放送という受験生それから学生をターゲットにした、それまで、そういうのがなかったんですけれども、そういう深夜放送というムーブメントが生まれまして。
それはまさに中学校高校の時代でしたからラジオべったりの時代でありまして。
その中からいろいろなヒットソングを吸収して、それの影響で今日ミュージシャンの道を選んだという。

そういう意味ではラジオというのは、本当に自分にとって重要なメディアでありまして。
その当時の特に音楽を紹介してくださるDJ、福田 一郎さん、中村とうようさん、八木誠さん、高崎一郎さん、糸井五郎さん。
そういうような方々のおかげで、色んな音楽を知ることができまして。
自分がミュージシャンになって、ラジオのレギュラーっていうのを持たせてもらうようになりましたが。
私、わりと選曲がオタクでありますので、一般的なラジオ・プログラムからするとマニアックでですね、なかなか受け入れ難いという。
70年代の頭ぐらいですけれど。

ですので、大体どんなに長くても3年で「ありがとうございました!」そういう感じになります。
早い時は10カ月で「ありがとうございました」そういう感じです。
90年代入るまで、そういう形でやってきましたけれども。
東京FMで、このサンデーソングブックという番組、元々サタデー・ソングブックで始まりましたけども、レギュラー・プログラムをまた持たせていただくことになったんですけども。
その時は、ちょうど39歳の時で92年。
それまではですね、わりとアメリカのトップ40とかですね、またR&Bが好きだったので、そういうようなものの新譜もかけてたんですけども。
だんだん、だんだんやっぱりあの年を取ってきまして、新譜を追うのがだんだん辛くなってくる時代で(笑)
ですので、サンデーソングブックにオファーが来た時に、じゃあ、これからはですねオールディーズ専門の番組に行こうと。
大体1950年代、60年代、70年代、80年代の音楽。
それだったら自分の今までの既成の知識だけで、なんとかやれるとそういうことを考えまして。
オールディーズに特化した、オールディーズ中心の番組という形でサタデーソングブックをスタートさせまして。
ちょうど土曜日の3時の番組だったので、
その前が邦楽ベストテンと、それから洋楽ベストテンというものに次いで放送していた番組ですね、ちょうどバランスがよかったんです。

2年程経ちまして、日曜日の2時に移ってくれと言われまして。
日曜日というのはですね実は非常に難しいゾーンでありまして。
深夜でしたら例えば学生の人とかですね、そういうある程度特化した層がリスナーなんですけども、日曜日の午後っていうのは、行楽帰りのファミリーとかですね、車の中で聴いている人たち。
それからお店をやってる方々、そういう、わりとこう幅の広いリスナー層があるので。
とても、そういう僕がやってたようなマニアックなオールディーズ果たして大丈夫なのかなと思って始めました。

その頃はおハガキだけだったので。
おハガキを紹介していたらですね、かけている音楽は全く分からないけど言ってることが面白いから聞くようになったというような、妙なそういうリスナも取り込みまして(笑)。
だんだんだんだん口コミで広まっていって聴取率が上がってきまして、3年で終わるかなと思ったら、5年になり6年になり、どんどん続きまして、今や30周年を迎えることが出来たと、いうそういう感じでありました。

先程申し上げましたみたいに、こうしたレギュラー・プログラムをラジオでやっておりますとレコードが出せないというですね、こっちに入り込み過ぎると、そういうこともあるんですけども。
そういうジンクスもあったんですけど、何とかですね、この30年間で1,2,3,3,4、何枚かな(笑)
アルバムを出すことができました(笑)。

基本的に私の番組、オールディーズ中心の番組なので、しかもわりとマニアックなですね、マニアックといっても、超マニアックじゃないです。
そこそこマニアック、私は「中級クラス」と申し上げておりますけれども。
そうした「そこそこマニアック」な音源なので、もちろん東京FMのレコード室にほ、ぼないものばっかりなので、自分の家から持ってきてレコードをかけております。
始めた頃は、まだアナログからCDに移る頃の時代だったので。
CDもありますけどもほとんどアナログで、60年代とかですね、特に50年代の音楽はCD化が、まずされていないものがほとんどだったので
そういうものを、かけておりますとですね、何と言っても古い音源なので。
前後の番組というのはですね、始まった頃は私の後ろがドリームズ・カム・トゥルーで、私の前が木村拓哉さんだった時代がありました。
そうしますと、この二つの番組は、前後の番組はバリバリの新譜がかかってるわけですね。
私は、50年代とか60年代の、例えばチャック・ベリーとかですねエディ・コクランとかバディ・ホリーとかかけますと、とても迫力の点で折り合わない(笑)。

家に機材を持ち込んで、リミッタ、コンプレッサ、イコライザ、そういうものを持ち込んで、今で言うところのリマスタリングを施しましてですね。それをDATのテープに録音しましてスタジオに持ち込んで、それをオンエアしていた。
そういうようなことを繰り返してるうちに「最高の選曲と最高の音質」というキャッチフレーズが生まれてきました。
そういう中から、デジタル・リマスタリングのノウハウというのは、知らないうちに培われて(笑)
それが自分の本業にも反映するという、非常にいいサイクルパターンでありまして。
おかげさまで、この番組やってるおかげでいろいろなノウハウがですね培われたという。
本当にサンデー・ソングブックとともに40代、50代そして60代を生きてくることができました。

話が長くなってしまいましたけれども。
でもサンデーソングブックの30周年記念プログラムなので(笑)
「はい!ライブきお聴きください!」と、そういうわけにいきませんので(笑)
こういうことをあらかじめですね、挟みつつライブの方もお聴きをいただきたいと思います。

(MC):
こんばんは。ようこそいらっしゃいました。サンデー・ソングブック30周年記念のイベントでございます。
しかし(笑)、よく当選しましたね。
30周年なんですけれど、このTOKYO FM ホール、ステージが狭くてですね、人が乗らないんです。
で今日はコーラスが乗りません。のでリズムセクションだけの演奏になります。
そうしますとですね、私がソロに、デビューした頃の70年代の記憶が蘇ってきまして、当時はコーラスなんて予算がございません。使えませんでした。
村上ポンタ、岡沢章、坂本龍一、松木恒秀、土岐英史、それに僕という6リズムでやっていた時代があります。
で結局、今日はそういう曲が中心で、ほとんど70年代で統一されます。
喜んでいる方もいらっしゃいますが、初めてご覧になる人いらっしゃいます? 初めての方だとちょっと難易度が高いかもしれませんが、でもたったそれくらいなので安心しました。
てなわけで今日は本当に自分の二十代のことを思い出して、すごく演奏するとフラッシュバックします。
ので短い時間でありますけれども、お楽しみいただければと思います。
でも全部70年代だと癪に障るので新曲もやります。

WINDY LADY / 山下達郎 "22/12/16 TOKYO FM ホール"
素敵な午後は / 山下達郎 "22/12/16 TOKYO FM ホール"
人力飛行機 / 山下達郎 "22/12/16 TOKYO FM ホール"

(MC):
どうもありがとうございます。
えぇお客さんの方が緊張しているような感じがしますがですね。
私ここの東京FMホールもずいぶん長いこと色んなイベントでやっておりますがですね、実を言うと、立って演奏したのは今日初めてなんです。
いつもアコースティック・ライブ、もしくは何か誰かゲストで座ってずっと演奏してましたので、座って演奏するとこのぐらいになる。
そうすると、お客さんの実感があんまりなくてですね。
でも立ってやると、こんなちっちゃいんだっていう感じであります。
今日は150人お出でいただきまして、いつも250ぐらいなんですけども。
アコースティックの3人で、アコースティックライブでは芸がないんで。

今年は30周年ということもあってバンドでやろうと思って選曲にかかりましたら、先程申し上げましたみたいに、そういうことに至りましてですね。
ですので、もうあの70年、24、5、6ぐらいのときに学園祭、宮城女子大とかですね金沢女子大とか、女子大ばっかり言ったらあれですけど(笑)東大の駒場の中庭とか行きまして。
そういうところの、何て言いましょうかね、ちょうど今頃の季節で寒いんですよ。
そういうことをすごく思い出して、ものすごくデジャブが来ます。
「Windy Lady」とか、この特に「素敵な午後は」とかは何十年ぶりにやったので。
こういうのやってますと、本当に思いっきりデジャブしますけど。
なので、お客さんがすごくなんか学生に見えてくるという、お互いに若くなっていくという、そういうあれでございますけれども。

本当にそんな感じなので。
コーラスがないと80年以降のヒット曲は、ほとんどできないという状態なので(笑)
70年代に先祖返りしまして、私が24、5、6ぐらいの時にやっていたステージの再演になります。
なんかこう「アーカイブ」という感じでありますけれども(笑)
シーンとして聞くような話じゃないんですよね(笑)
マスクなので声が届きにくい、なので、しばらくの間お楽しみいただきたいと思います。

昔の曲は、どちらかと言うと暗い内容の曲で、あんまり人生に希望がないと言いましょうか。
男女関係が絶対に成り立たないという、そんなような曲ばっかりでありますけれども。
それがまた、お好きだという方がですね、昔からのお客さんにはたくさんいらっしゃいまして。
最近の山下達郎はちょっと明るすぎるんじゃないか、とかですね。
年取ってからですね、そんなね、ぶつぶつぶつぶつ言ってられませんからですね。
やっぱり、だんだんこう平常心というんでしょうか、落ち着きと言いましょうかですね、丸みというか。
それで「SOFTLY」っていうアルバムタイトルになったわけですから(笑)

いいですね。台本がないライブっていうのはね。
本当にまあそんな気楽な感じで今日はやりますので。
話がどこをとるかも分かりませんし、時間が延びてしまってもFMでないので別に関係ないですので(笑)

その当時1970年代、私の最もペシミスティックな歌で、その中でも一際人気があった曲で、今年のツアーでもやってるこの曲をどうぞ。

PAPER DOLL / 山下達郎 "22/12/16 TOKYO FM ホール"

どうもありがとうございます。
しかし本当にですね、お客さんには関係のない話なんですけども、めちゃくちゃフラッシュバックするんです。
このスペースで、このリズム・セクションでこういう曲の演奏をするとですね、
本当に42、3年前の、もっと前か、44,5年前のですねライブ・ハウスと言いましょうか。
あとは六本木のピットインとか、そういうところの空気と言いましょうか。

お客さんの空気はそんなに変わってないっていうのは、またストレンジな感じでありましてですね。
年齢層が高いのか低いのかよく分からないというあれですけれども(笑)
昔は本当にちっちゃなライブハウスで、新宿のロフトとか荻窪のロフトとか下北のロフトとか高円寺の次郎吉とか、そういうところで、たくさんやっておりまして。
シュガー・ベイブというバンドで、その時代はライブハウスが主なですね活動拠点でありましてね。
月に10か所というか10本ぐらいはライブハウスで、月の半分ぐらいは演奏しておりまして。

その中から、いろんな曲ができて「SONGS」というアルバムは生まれて。
あれが75年ですからもう47年になります。
いまだにですね、聴いていただいているという、本当にありがたいことですけども。
でも、21、2の時に作った曲を今でも69になろうという、じいさんがですね、まだやれているという、本当にそういうのがものすごく幸福なので。

今日は、そういう普段あまりやらない曲ばっかりで(笑)
結果的に、こういう編成なのでそういう曲になってますけれども。
やれる機会があればやりたいんですけども、何しろもうキャリアが47年で、作った曲が300以上なんですね。
ずらっと並べているうちに、できなくて、もう5年、10年経ってしまうという、この曲も、もう2015年以来ですから7年ぶりにやる1曲ですが。
昔から好きな曲なんですけど、なかなかやる機会がございません。
こんな機会、150人の皆様に聴いていただければと思います。

過ぎ去りし日々 / 山下達郎 "22/12/16 TOKYO FM ホール"


ここで一旦ブレイクはさみまして午後三時から、この続きをお聴きいただきます。

 

<第一部 了>