1967年に15歳で「甘ったれたいの」でソロデビューした今陽子(ピンキー)がレコード会社をに移籍。
男性ボーカルのジョージ浜野(ギター)、エンディ山口(ギター)、ルイス高野(ベース)、パンチョ加賀美(ドラムス)の4人とピンキーとキラーズ結成。
グループ名はアメリカのバンド「スパンキー&アワ・ギャング」をもじったもので、作曲家のいずみたくが命名したという。
1968年7月20日、デビューシングル「恋の季節」をリリース。
そのライナーノーツには『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていたらしい。
セルジオ・メンデスは「マシュ・ケ・ナダ」などで知られるブラジルのミュージシャンで、1960年代後半の世界的なボサノヴァブームを牽引した。
ピンキラは、このブームに乗りつつデビューしたわけである。
ピンキーは大人びて見えるが、このときまだ16歳。
ボーイッシュなビジュアルは当時の若い女性歌手にしては珍しく、それも成功した一因だろう。
「恋の季節」の詞は岩谷時子、曲はいずみたく。
すぐに注目を集めたものの、今のように発売直後に1位になるような時代ではない。
約2ヶ月あとの9月23日付オリコンチャートで1位を記録した。
ちなみにオリコンチャートが正式にスタートしたのは、この1968年である。
1位をとってからの勢いがすごい。
1週のみ佐川満男の「今は幸せかい」に1位の座を明け渡すものの、翌週には奪回し、なんと通算17週も1位をキープした。
この記録は約半世紀を経た今も破られていない。
ただ、かなり意外なことに、これだけのヒットでありながらも、「恋の季節」は68年の年間チャートの1位ではない。
1位 千昌夫「星影のワルツ」
2位 ザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」に続く3位である。
「星影のワルツ」は66年発売のロングヒット。
「帰って来たヨッパライ」は67年末の発売なので、68年7月発売の「恋の季節」は時期的に遅れをとったともいえる。
総売上は207.7万枚。
日本初のダブルミリオンとされるが、あくまで「オリコン集計において」である。
オリコンの数字は集計サンプルからの推定売上枚数だが、出荷ベースでカウントする方法もある。
「恋の季節」は240万枚とも、270万枚とも言われるが、今陽子自身「私にもわからない」とインタビューで答えている。
ピンキーとキラーズはその後、4枚目の「涙の季節」1位になったほか、2枚がトップ10ヒットになったが、以降ヒットから遠ざかり、1972年2月に今陽子がソロに転向するため脱退。
キラーズは2人組の女性ヴォーカルを加え、ニュー・キラーズとして再スタートするが、1974年3月、解散する。
2008年、今陽子の芸能生活40周年記念ディナーショーにメンバーが集まり、36年ぶりにオリジナルメンバーでピンキーとキラーズが再結成を果たした。
2018年5月、キラーズのメンバーだったパンチョ加賀美が肝臓がんのために他界。
その訃報は今陽子(ピンキー)のブログで公表された。
<了>