1959年、兵庫県姫路市のキャバレーで働いていた当時16歳の宮史郎は歌手を志し、「男の花道」を自主制作で発売。
61年には大阪でスパローボーイズを結成し、松竹芸能に所属。
歌と演奏、そしてお笑いトークのグループとして活動する。
63年、兄の宮五郎、並木ひろしと共に音曲漫才のぴんからトリオを結成。
キャバレーなどでの営業を地道に行うものの広く知れるには至らず、約10年間、苦労を重ねる。
71年、ぴんからトリオの結成10周年(前身のスパローボーイズの結成から数えて)として「女のみち」を自主制作で300枚プレスした。
作詞は宮史郎、作曲は並木ひろしである。
キャバレーなどで、この曲を披露したところ、ホステスなど水商売の女性の間で話題となり、また、自主制作の1枚が偶然、関西の有線放送で流れ火が付いた。
72年5月10日に日本コロンビアから「女のみち」リリース。
8月30日にオリコンチャート1位になる。
この大ヒットを生んだ“功労者”の一人が、ドリフターズの加藤茶だ。
当時の人気番組『8時だョ!全員集合』で加藤茶が警官に扮したコントをするとき「女のみち」を口ずさんでいた。
視聴率40%台を連発していたというお化け番組である。
普段は演歌とは縁遠い人にも広く知れるようになり、子どもたちが歌詞の意味もよくわからないまま、宮史郎の真似をするというブームになった。
72年10月30日から翌73年2月12日まで、シングルチャート16週連続1位を記録。
72年、73年と連続して年間チャート1位となり、売上枚数は325万枚に達した。
ちなみに72年の日本レコード大賞は、ちあきなおみの「喝采」。
多くの人に親しまれた大ヒット曲だが、「女のみち」に阻まれて1位には届かなかった。12週間にわたり2位を記録している。
ぴんからトリオは72年12月「女のねがい」をリリース。
こちらも170万枚という大ヒットになり、「女のみち」と共に15週間同時にトップ10にランクインした。
73年、ぴんからトリオから並木ひろしが脱退し、ぴんから兄弟に改名。
83年、ぴんから兄弟は解散し、宮史郎はソロして活動。84年には「片恋酒」がヒットする。
その後、ヒット曲には恵まれなかったが、「女のみち」という歌謡曲史上に残る名曲の威光は衰えず、演歌番組や懐メロ番組、地方巡業などで多忙だったという。
宮史郎は、2012年11月多臓器不全のため他界。享年69。
宮五郎、並木ひろしもすでに鬼籍に入っている。
なお、88年に宮史郎に弟子入りし、翌89年に歌手デビューした藤本健太郎が、2018年10月「二代目宮史郎」襲名披露公演を行った。
生前から宮史郎に「名乗れ」と言われており、宮の夫人、子息らとも相談して決まったという。